ロムニアだより(No.6〜No.8)「りる」第20号より

     ルーマニア         M.O.

                     平成10年度1次隊

                     日本語教師

1、1998年8月31日

 思い立ってブカレストから300キロ離れたBACAU(バカウ)に行きました。私と同じ隊次の友達がいる所です。出発前は初めての一人旅だとわくわくしていましたが、とんでもない!この二日間は最初から最後までハプニングだらけでした。

 先ず、出発時間の30分前にGARA DE NORD(ガラ デ ノルド・・・ノルド駅、北駅)へ行ったのですが、切符売場を見て目が点になってしまいました。窓口は六つありますが全てに二列ずつ長い列ができているのです。

一番後ろに並んで待っていましたがなかなか進まず、TREN(トレン・・・列車)が出る5分前になって一番前の人に頼み込んで先に切符を、間違いがないように一応時刻と電車の番号を書いた紙を見せて、買わせてもらいました。13時40分で行くと17時50分に着きます。

電車はよく遅れるし、着いてから友達の家を捜さなければならなかったのでこの後のには乗りたくなかったのです。ホームまで走り何とか動き出した電車に飛び乗ることができたのでした。(ここではドアを閉めないで走り始める。気がついた人が閉めて降りるときは自分で開ける)この後自分の席へ行ってみると埋まっているではありませんか。オヤ、と思って確認すると何と私のは次の16時30分のだったのです。

紙に書いたものを見せたのに何で?どうしよう?と思っているとそこにいたコンパートメントの人がとりあえず座ってたほうがいいと言ってくれたので座らせてもらうことにしました。10分ほど経って女性の車掌さんが検札に来ました。

私のチケットを見て、間違っているから次で降りるようにと言います。でも私がどうしてもこれでバカウに行きたいと訴えているとそこのコンパートメントにいた人全員が、日本から来てまだ5週間で初めて一人で乗ったんだから見逃しなよ、間違いはだれでもある、と口々に言ってくれました。

その女性の車掌さんも中々引かなかったのでしばらく言い合いになってしまいました。私は只見ているしかできなかったのですが、全然知らない日本人の為にそこまで・・・と本当にジーンとしました。

降りたくはなかったのでお金を払わなきゃならないかも、とも思っていたのですが彼らは絶対に払うな、と言います。実際、そんなものは袖の下なのです。車掌さんは二度ほど通ったのですが何も言わなかったので皆で安心していたのですがBACAUまで後1時間という時になってまた来ました。そして今度はお金を払えと言うのです。

それも100000LEI!私は64800LEI払っているから差額しか払えない、と言うとそれでいいというのです。それもあやしい話なのですが、座らせてもらったコンパートメントの人達にこれ以上迷惑もかけられないので払おうとするとやっぱり周りの人たちが払う必要がない、と頑張ってくれるのです。でも今回は車掌さんも頑張ったので誰かを連れてくる、と言って行ってしまいました。

すぐに男性の車掌さんを連れてきたのですが私が教えられた通り、友達のうちに行くからこれだけしか持ってない、と言って、ポケットから10000LEIを出すと男性の車掌さんは何だそんなことだったのか、いう顔で何も言わずにいなくなり、女性の車掌さんもそうなると、座らずに立っておきなさいとだけ言い残して行ってしまいました。本当に本当に嬉しかったです。

一人だったらきっとお金を払っていたでしょう。心細かったでしょう。こういうルーマニア人の温かさにふれることができて嬉しいです。正直、車掌さんが通る度にどきどきして落ち着かなかったし、こんな経験はもうしたくないと思いますが、こういうルーマニアの温かい心をいつも覚えていたいと思います。

 さて着いたぞ、と気を取り直して歩き始めました。頼りは調整員に書いて頂いた地図だけでした。歩いて15分ぐらいと聞いていたのですが、30分歩いてようやく最初の目的地のスタジアムを見つけました。それから人に聞きながら15分、ようやく長い旅を終えることができました。突然行ったので友達はすごくびっくりしていました。

 これで終わったわけではありません。私を見て友達は、何でそんな格好をしているの?と言いました。なんとBACAUは寒いのです。特に夜は半袖では寒くて外を歩けません。’・・・PLOUA!’’え?雨?BACAUって雨が降るの?’BUCURESTIでは聞かない単語ですっかり忘れていました。BACAUでは既に二度ほど降ったとか。半袖しか持ってなかった私は友達に長袖を借りて帰りました。

しかし帰ると信じられないことにBUCURESTIも雨、それも大雨だったのです。昨日は暑かったのに今日はもう13度しかありません。昨日夏が終わって今日から冬、という感じです。日本のように季節の移り変わりを楽しむというのではなくて、四季ははっきり分かれているようです。冬服を船便で送ってしまった私はどうやってしばらく過ごせばいいのでしょう・・・。この二日間でルーマニアという国が更にわかったような気がしました・・・。

 さて、ここでTREN(列車)について少し説明します。TRENには、INTERCITY(インターシティ・・・国際列車)、RAPID(ラピッド・・・特急)、ACCELERAT(アチュレラット)PERSOANE(ペルソアネ・・・普通)があります、PERSOANE以外は特急・急行料金と座席予約料が要ります。車両はCLASA 1(クラサ ウントゥイ・・・1等車)とCLASA 2(クラサ ドウア・・・2等車)があります。

この2つの違いは、ほんの少しの座席の質とコンパートメントが6人用か8人用かだけで、あまり変わらないと思います。どちらにもクーラーや暖房はありませんし。BACAUについてはCLASA 1が97200LEI CLASA 2が648000LEIで、座席を予約しないで立っておくだけなら38000LEIです。ちなみに、チケットはBUCURESTIのGARA DE NORDだと日本と同じようなものですが、他の駅だと茶色い厚紙のようなチケットです。

  地下鉄切符

2、1998年9月13日

 医療巡回指導調整団がいらっしゃるということで久しぶりにBUCURESTIで全員集合となりました。私たち10年度1次隊はわずか三週間ぶりの再開でしたが、広尾訓練所からずっと一緒だったのでとても懐かしく感じました。こういう公用は大体月に一回あるそうで、近くに住んでいても中々会えないものなので好い機会だと思いました。

その後友達の一人は私のうちで三日間ほど泊まりました。ルーマニア料理を作ったり、うどんを打ったり(!)してのんびり過ごしました。讃岐出身の私としてはうどんについてはまだまだ追求しなければなりませんが、ルーマニア料理については友達と一緒にお店を出そうかと言ったぐらい上手くできて大満足です。

 9年度1次隊の先輩のお友達が任国外研修旅行できました。せっかくだからルーマニア料理を、と作っていたのですが、カップをお玉の代わりにしているのを見て’お玉は買わなきゃ’と妙に説得力のある声で言ったのでようやくお玉を購入(7000LEI)しました。やっぱり使いやすいです。

 今も掃除が終わらないというのはそれだけが理由ではなく本当にすばらしいくらいここが汚かった(蜘蛛の巣だらけ!)のです。でもようやく今、最終段階に入りました。絨毯(じゅうたん)を洗うのです。しかしこれは思ったより厄介でした。ベランダに出して、専用のブラシでせっせと洗うのですが、ベランダに出すだけでひと苦労でした。重いのなんの、って・・・。そしてブラッシングしても、しても終わらない・・・。

しかし冬にこんなことをすると凍ってしまうので今やっておかなければなりません。ないならないでいいんだけどなあと思っても、収納出来るところには全て大家さんのものを入れてしまったのでこれをしまうところもありません。悪戦苦闘の結果、ようやく終え、後は乾くのを待つだけです。

 9月10日、もうロシアに行って売りさばかれているよ、と言われた船便で送った私の最後の荷物が届きました。これで冬を過ごせます。


3、1998年10月8日

順序を誤ってしまいました・・・その1

 このROMANIA便りは私の母校や、出身の香川県、そして私の大切な友達に送らせてもらっていますが、ここまで来てこのROMANIAだよりをなぜ出しているか、ということを書いていなかったことに気が付きました。書く事に一生懸命で、順序を過ってしまいました・・・。すみません・・・。さて、なぜかと言うと、単純に、ルーマニアという国をもっと知ってもらおうと思ったからなのです。

発展途上国といわれるルーマニアは、日本には中々情報が入ってこない国です。言葉も文化も民族も違います。そこで暮らす私(未熟ですが)の目の高さでお知らせしたいと思います。ちょっとした価値観の違いがおもしろいなあと思って頂ければうれしく思います。国際化だとか、国際人になろう、とかずっと言われていますが、私は何も外国に行くことが、その一歩だとは思いません。向き不向きもあります。

でも私自身は、相手を知ろうとすること、そして相手に求めないことはどこで暮らしていても大事だと思います。それから、海外で暮らすということがどういうことか興味のある方には何か参考になればと思います。ですから何かご意見などありましたらどうぞ下記までお願いします。
 (略) 

順序を誤ってしまいました・・・その2

 もう一つあるのです、最初に書いておくべきことが・・・。それは、ルーマニア語についてです。ルーマニア語の文法について語ろうとすると溜息(ためいき)が出てしまいますが、発音については易しいと言えると思います。例えば、LUNIはルニ(月曜日)、JAPONIAはジャポニア(日本)と発音します。

殆(ほとん)どアルファベット読みなのです。とりあえず、見たまま読んでみると通じる・・・カナ?文字は、WとYがほとんど使用されず、Qはありません。補助記号が使用されるものでa,a,l,s,tがあります。a lは、発音は全く同じ(ウー[i])ですが、aはルーマニアに関係のある名詞や形容詞に使われています。

ですから、ROMANIAだより、のROMANIAはロマニアではなく、ロムニアと発音します。もちろんこれがルーマニアの正式名称で、最近では国際的にロムニアという呼び方が広がっているそうです。


電話

 こちらに来て苦労したのがテレフォン・カードを手に入れることでした。売っているところが見当たらないのです。近所の電話局のドアには売ってませんと大きく張り紙がしてあるし、METROU(地下鉄)乗り場に自動販売機なるものがありますが、お金を入れるとテレフォン・カードが出てきた、というのをまだ聞いたことがありません。

街の電話局に行ったときまとめて買うようにしています。家に電話はありますが、国際電話ラインがついていません。つけるためには電話局に申し込むのですが、コネがない場合、特に外国人は1年ぐらいかかるそうです。

うちの場合は近くでも掛からない地域があるし、大風の日はつながりにくいので、ま、いいか、と思っています。最近特に風が強くて、先日の母からの電話も途中で切れてしまいました。久しぶりに今日は天気もよく風もありませんでした。夕方、6時に、とても懐かしい人から電話がありびっくりしてしまいました。

その時、電話の声がまるですぐそこにいるかのようにクリアだったので、こういうこともあるんだなあ、と思いながら、高い高い国際電話だというのに日本でいる時のように今じゃなくてもいいような話をしてしまいました。

突然すぎる時ってこういう感じなんですよねえ。でも、とにかく、嬉しかったです。日本は夜中の12時だというのにわざわざ連絡を取ってくれて・・・。この場を借りて’ありがとう’をもう一度・・・。


PENTRU IARNA

ペントル ヤルナ、冬のために、という意味です。ルーマニアでPIATA(ピアッツァ・・・市場)に通っていると、今何が旬なのかよくわかります。旬のものは沢山あって安く時期が遅くなると少なくなってきて高くなっていくからです。よく出回っている安いときに人々は10キロ、20キロと買っていきます。冬になるとジャガイモ、ニンジン、タマネギ、りんご以外はなくなるからです。輸人品もあるらしいのですがそれはとても高いそうです。

冷凍したり、酢漬けにしたり、果物ならコンポートにしたりしているようです。そのためどこの家にも冷蔵庫と別に冷凍庫がドーンとあります(知り合いの家には5つもあった)。私も昨日、ねぎといんげん豆を冷凍しました、、夏なら、3000レイ(1キロ)で大積みされていたなすびは今では高級品になりつつあって、6000〜8000レイです。今朝、運よく3000レイで見つけたので10キロ買いました。

売っていたのがなかなか親切なおじいちゃんでたくさん買ったからと1個おまけでつけてくれました(つけさせた、とも言う)。これをすべて焼いて、皮をむいて、水気を切って冷凍します。今晩も寒そうだから火を使うと暖かくていいかもしれません。


安全連絡会議

 先週の土曜日に、安全連絡会議というものがあり、ルーマニアにおける犯罪の現状をルーマニア警察の方から、そして、これまでの日本人の被害状況などを大使館の領事担当官の方から伺(うかが)ったりしました。本当に、実際ニセ警官にあったりしたことのある方のお話を伺っていると、予期しないときに起こるんだろうと思いました。いつも気をつけてはいるのですが、ここは安全ではないと再認識しないとなあと思いました。

 警官身分証明