バングラデッシュでの学校教育   「りる」第8号より

                                                    バングラデシュ  Y.N.
                                                             平成2年度3次隊
                                     体育

                                                                

  私は、一九九一年四月から一九九三年七月までの青年海外協力隊員としてバングラデシュ(以下バ国とする)での活動、その後一九九三年九月から一九九四年九月までのイギリス国ロンドン大学教育研究所においての修士課程、及び一九九四年十月から一九九五年二月までのバ国における基礎教育調査と約五年間に渡ってバ国の学校教育に関わってきた。それぞれの時期を追ってバ国の学校教育について述べていきたい。

(1)青年海外協力隊員としてのバ国学校教育との関わり

 バ国での私の職業は、体育大学での女子部の活性化であった。以前、小学校の教師をしていたこともあり、本来の仕事のかたわら村の小学校廻りも週一回程度行なっていた。農村部の小学校(バ国は約八十五%は農村部であるが)の状態はひどいものであり、校舎の老廃(もともとしっかりしていないが)、教室の不足、長机・椅子の不足、黒板の不足、トイレや水道の無設置等の物質面はもちろん、教師の遅刻、低レベルの授業、生徒への無配慮など教師の質の低さは目を見張るものがあった。

生徒の就学率はひどい地域だと、約四十%であり、出席率は六十%あればよいほうであった。また、試験における留年(一九九二年から三年生からになった)と中途退学は深刻な問題であり、小学校を卒業するのは就学したうちの約十五%であった。そのような状態で体育の授業など、とんでもないことであるが訪問のとき運動を兼ねたゲーム等を行なうときの子供の目の輝きはすばらしいものがあった。

授業中に笑った顔など見たことがない子供達は、何か学校に来ることが楽しいと思わせるものが必要であると感じた。そのような政府の初級教育に対しての失望と何も出来ない自分の立場への苛立ちの日々が続いたのであるが、ある日私が初等教育について調査していることを知り、ある隊員がいい学校があるから見に来ないかと誘ってくれたのがNGO(非政府団体)の小学校との出会いであった。

 バ国には、かなり多数のベンガル人が行なっているNGOがある。そのなかでも、BRAC(Bangladesh Rural Advancement Committee)とグラミーバンクは世界的にも有名であるが、ノンフォーマル初等教育プログラムにおいてはBRACは優れていた。(現在は他のNGOも注目されている)私はその当時、BRACの知名度などまったく知らず、ただ初等教育プログラムを行なっているNGOを調査していくうちに、BRACの良さを身に染みて感じたのであった。

このノンフォーマル初等教育プログラムとは、政府の小学校に就学できなかった子供及び中途退学した子供に、初等教育を受けるチャンスを与えるものである。カリキュラムは子供が楽しく学べるように工夫されていて、歌、ゲーム等を毎日行ない学校を楽しい場所にする工夫もされていた。本業の休みの日はもとより休暇はいつもBRACのローカルスタッフと働いていた。

一番感動したのは、BRACの教師訓練所に泊まり込み完全追跡調査を行なったとき、村の女の人達が(勉強から離れて十年以上たっている人達)朝七時から時には夜の十一時まで、一生懸命勉強している姿であった。教え方のパターンを覚えなければいけないのだが、何回行なってもできず、しかし再度挑戦している姿をみると日本の女性よりバ国の貧しい女性のほうが、パワーがあるかもしれないと思わされた。

 政府の小学校とNGOの小学校を較べるのには、条件が違うかもしれないが、バ国という貧しい国で、同じベンガル人が行ないながら、なぜこのような歴然とした違いが出てくるのであろう。政府の小学校をよくするためには、どのような条件が揃わなければいけないのであろう。人々が子供に教育を与えることの重要性を認識するために、何が必要なのであろう。バ国での二年三カ月の日々のなかで、私は同じ疑問を何度も自分に問い掛けていたのであった。また、本業の仕事の方でもイスラム教国における女性教師のためのトレーニングコースを開いたりして、女性教師の地位の問題も関連して考えるようになっていた。

 JICAバングラデシュ20周年記念 ローカルスタッフと



(2)イギリス国における修士課程コースとバ国の教育

 バ国での、初等教育の調査を行なっている間、多くの外国の教育関係者とお会いしたなかで、教育における開発についての基礎知識がまったく無いことに気が付いた。また、自分が調査して突き動かされた物をもっと理論的に肉付けして論文にしたいとも思った。そして、イギリス国ロンドン大学教育研究所の修士課程で学ぶことに決め、幸いにも入学が認められた。教育と開発というコースでは、途上国の教育関係者か途上国での教育分野での勤務経験が必要である。

私はそのコースで一番年下であり、英語が母国語でないため最初は相当のストレスであった。しかし、もともとの楽天的な性格からか、自分がまさに勉強したことを学べる嬉しさからか、あまり苦にはならなかった。毎日三時間、教育と開発のあらゆる方向からテーマに添って授業が行なわれ、刺激的でさえあった。

特に、それらの授業のなかでのグループ討論でグループごとに与えられた課題をまとめ上げていくのであるが、これはとても為になった。小人数で話し合うため、自分の意見を常に明らかにして相手を納得させていかなければいけない。そのためには、本を読まなければいけないしいつも自分の意見を明確に理由づける論理的思考を持っていなければいけない。

 このコースでは、途上国の教育援助関係者も多く、いつも先進国と発展途上国の立場の違いを実感させられた。途上国のニーズにあった、途上国の人とともに考える教育援助の必要性は認識されているが、与える側と受け取る側の立場の違いから来る心理的相違は免れない。しかし、それはクラスの討論にも反映して時には日本の援助批判の標的になったりもした。しかし、それは反論できるだけの知識と論理的批判力を持っていなかったためであり、徐々に相手の盲点が見えてくるようになった。

 私が修士論文のテーマとして選んだのは、バ国の女性教師の重要性である。バ国は女性教師数が二十%を切り、特に農村部の小学校は男性教師ばかりであるといってもよい。バ国の国教や文化から起因して教育の性別の機会均等の確保が難しいなか、女性教師の存在の重要性とその数を増加させるための種々の政策の提言を行なった。

 この一年間で学んだものは大きく、これからの研究や仕事のうえで必ず生きてくると思う。

(3)教育調査から得たバ国の学校教育

 JICA・JOCVバングラデシュオフィースのために、バ国の学校教育について四ヵ月調査を行なった。この仕事は、私の協力隊員のときの経験とイギリスでの勉強が同時に生きる最高のものであった。調査は大きく分けて二つあり、国際機関や他国の政府援助機関の教育援助動向を探ることと、学校教育分野における効果的な協力隊員派遣形態の発見であった。

バ国では一九九一年から、総合教育計画という五年間の大規模な援助が繰り広げられている。これは、初等・中等教育の量・質両面からの拡充計画であり、世界銀行を中心に八つの国際機関・政府援助機関が参加している。日本は教育援助分野は経験が浅いため、他国から学ぶところは大きく、いろいろな機関の教育担当者とお会いしてお話を伺い日本が参入できる分野の選定を行なっていった。

日本の援助の大きな特色というと、協力隊を始めとする技術援助であり、約二ヵ月に亘(わた)る地方調査によって草の根レベルでは技術援助を求めていることが理解できた。その調査の結果から、初等教育においては、初等教育隊員が低コスト教材開発とそれらの普及及び情操教育の紹介を初等教育養成機関と郡初等教育局を中心に活動していく案と、中等教育においては、理科隊員が中等教員養成大学付属の教師訓練センターにおける理科教科の実験指導と中等学校巡回の案の二つが挙がった。地方の要求と中央政府の要求はいつも同じとは限らずこの調査からの案件が通るかどうかは中央政府の理解度による。

 バ国の学校教育状態は相変わらず良くはないが、しかし私が隊員であった時より進歩が明らかに見られたことは、大きな喜びであった。現在、バ国の国予算の約十六%を教育・宗教に充て、また教育予算の約六十%を初等教育に充てている現状であるが、そのほとんどが外国援助で支えられている。初等教育の重要性を政府が認識し始めたことはすばらしいことであるが、巨額な教育資金援助による急ピッチな初等教育の量・質の拡大は計画実施状態の大きな格差を生み出している。そのような状態のときこそ、隊員の草の根レベルの援助が生きてくると思うのであるが、バ国政府の出方を待つしかない。

 今回の調査は、本当にあらゆる人々にお会いでき、地方調査もスムーズに終了し、とても満足できるものであった。また、すばらしいNGOの活動もまた調査することができ嬉しいかぎりであった。バ国の教育には、今後も関わっていくと思うが、もはやこの国は、私にとって第二の故郷のような感じさえ持つのである。

 地方での学校教育の聞き取り調査(「郡」小等教育長とともに)