Kさんとの出合い      「りる」第7号より

     中国           A.S.

                     平成5年2次隊

                     病虫害

 

 昨年の暮れ、体の芯まで刺すような冷気に迎えられ北京首都空港に中国への第一歩を印したことが昨日のことのように思い出されます。あれからもう一年になろうとしています。

 幸いこの一年、大過なく業務に励むことができました。日頃の皆様の御支援に感謝しております。

 現在、生活や仕事にもすっかり慣れ、決められた日課を淡々とこなしている毎日です。午前中、研究室の先生と共同で専門分野の実験(現在の研究テーマは作物の耐寒性を向上させる漢方薬と水稲黄化萎縮病の二つです。)

午後から、先生方への日本語授業や日本の研究論文の翻訳作業をしています。そして夜は夜で、日本語会話のトレーニングに我が家を訪れる日本留学予定の人達のお相手と、平凡ながらも充実した時を過ごしております。

 さて、一年も異境の地で生活していますと恐らく日本の生活では体験できない様々な出来事、いろんな人々との出合いがあります。今回はその中でもごく最近の出合いについて書きたいと思います。

 先月、大学の先生たちと三泊四日の予定で湖南省の名勝・張家界に行った時、そこである日本人グループと知り会いました。彼らはある大手建設会社の幹部の方で、そこからさらに山奥に行った所に計画されているダム建設のため、出張駐在しているとのことでした。

工事現場は省都・長沙から車で十五時間以上もかかる、それは不便な土地で、そんなところで働く日本のビジネスマンは協力隊以上にすごいなと、共感と驚嘆の念をいだいてその時は別れました。

  張家界 旅行の晩餐会 同僚の先生たちと


 二週間程経ったある日、彼らから食事のお誘いを受けました。食事をしながら、彼らが今まで経験してきた海外勤務のこと、当地での苦労話など、いろんなエピソードを伺い楽しく歓談させてもらいました。

 最年長のKさんが突然「実は、私の娘も来年の夏、協力隊員として、アフリカのマラウイに旅立つんですよ。」・・・ そしてお酒をこよなく愛するKさんは、たまに実家に帰ってきては付き合ってくれる娘さんが、最良の晩酌相手だったらしくその娘さんがいなくなるので「さびしくなるよ」とポツリとつぶやかれました。

 目に映るKさんの姿は今までのモーレツビジネスマンから、いつのまにかかわいい娘を未知の世界に送り出さなければならなくなり、とまどい迷う父親に変わっていました。

私は二年後の娘さんはきっと単なる晩酌相手ではなく、互いに海外で汗を流してきた体験を大いに語りあえる同志になるだろうと思いつつも、少しでもKさんに安心してもらおうと「日本での訓練生活、一年間の活動、協力隊事務局のバックアップ体制、そして隊員を支援して下さる『育てる会』など」について、知っている限りのことを話しました。

最後に互いに笑顔で、「今の世の中、一生瓶かかえても世界中どこでもいけるよね。」と言ってお別れ致しました。

  日中 民族衣装による交歓会


 Kさんとの出会いは人の「縁」の不思議さを感じるとともに、自分ではわかっていたつもりですが、改めて残される家族の精神的負担の大きさを教えていただいた気がします。今一度、家族や陰に陽にご支援下さる皆様方に感謝致します。