日々、「ウルルン滞在記」      「りる」第19号より

     コートジボアール   R.H.

                     平成9年度3次隊

                     看護婦

 芸能人が、世界のいろんな国へ行って大変だけど、様々な面白い体験をしている番組を御存知でしょうか。

 四月七日に日本を発って、パリからアフリカ行きの飛行機に乗せてもらえず(オーバーブック)一日遅れて、九日にコートジボアールに入りました。以後、毎日が「ウルルン滞在記」です。

 日本を発つ迄は、「マラリアが多いし、水道も電話も郵便局も無いような所で、ニ年間生活する」ということが、家族や同僚、そして私自身とても心配でした。私を戦場へ送るような気持ち、という母に「必ず、生きて還ってくるから」と、なだめすかした程です。

 が、日本で心配して下さっている皆様には大変申し訳ありませんが、今、毎日がとても楽しく、十数年来、味わう事もできなかった「人間らしいゆとり」を実感しています。

 日々、日本では得られないような感動や発見、出合いがあります。当初、これらの記録をできるだけ残してゆこうと、パソコンに打ち込んでいましたが、とても追いつきません。一日過ごしたら、その日の日記を書くのにニ日はかかります。それ程、書き残しておきたい、と思うような出来事が、日々あるのです。

  カグベの子供たち

 このような体験をリアルタイムに日本のみんなに伝えて、共有できれば、と思っていたのですが、月日は待ってはくれず、早、五ヶ月が過ぎました。感動した出来事も月日と共に記憶が薄れてゆくことが残念でなりません。おそらく、この二年間は私にとって大きな財産になるので、日々の記録を残しておくことが、より大きな貯えになると思っています。

 折角、アフリカヘ来たのだから、のんびり過ごせば良い、とも思いますが、充実した日々は、のんびりとは過ぎず、結構あわただしく過ぎてゆきます。日々の記録を残す余裕もままならないので、目下、写真を沢山撮っています。子供が好きなので、主に子供達を撮っていますが、協力隊の看護婦隊員で派遣されている故、仕事関係の写真も多く撮ってあります。

  傷の手当てが終わって絵本を子供たちに見せているところ

 勿論、日常の生活のみならず、看護婦としての観点からみても、多くの発見や衝撃、感動があります。二年間を終えて、日本に還ったら、これらの写真を素に記憶をたどって記録を作りたいと思っています。

 さて、それでは、まだ時間に余裕のあった頃に打ち込んでいた記録の一部を抜粋して、皆様への「コートジボアール便り第一弾」とさせていただきます。


六月二十六日(金)
 昼十二時を過ぎて一歳過ぎの子供を背負った母親がワクチンを受けに来る。子供の為の四種類のワクチンは、三種混合が少し残っているだけ。その子供が受けなくてはならないワクチンは、黄熱病と麻疹、それぞれ5ml入っていたが既に空になってごみ箱に。母親も破傷風のワクチンを打つ時期だが、それも空になっていた。

 お金をかけて、バスに乗ってワクチンを打ちに来るから、そんなに高くないであろうワクチンを、たった一人の子供の為にでも、新しいのを開けてあげようと思っていた。

   ワクチンを受けにきた子供の体重を量る

 が、このあいだはワクチンの日にワクチンが無く、ディボ(この地域の医療事務所のある町)に取りに行っても在庫が無く、別の村まで行って分けてもらっていた。こういう話を聞いた後では、気前良く新しいワクチンを開けるのも気がひける。特に母親の為のワクチンは、わざわざ受けに来た妊婦さんが受けられずに帰ったほどだ。そのワクチンも今日はまた、冷蔵庫には一本しか残っていない。この母親のために開けたら、来週、他の妊婦や母親達が来た時に困ってしまう。(ワクチンは残っても捨てて次回の日には新しいのを使う)

 ・・・聞くところによると、その母と子はなかなか遠い村から来ている様子。が、仕方が無いので事情を話し、今度はもう少し早い時間に(ワクチンが無くなる前に)水曜か金曜、いつでもイーレ(診療所のあるこの町)に来るついでの日に来るようお願いする。事情は分かってもらえ、がっかりした表情だが納得してくれる。「イーレには、ワクチンを受けに来る時しか来ないよ」と、言いながらも、カレンダーを一緒に見て、今度来る日を検討している。

 「もっと早くに来い」と言ったものの、ここのカミヨン(乗合バス)の事情からは難しいことである。カミヨンとは、小さなトラックの荷台にテントをかけて、木の長椅子を乗せてあるだけのもので、出発時間なんて決まっておらず、二、三時間なんてざらに待つ。そういった待ち時間も考慮して、「カミヨンでどれくらい時間がかかるの」と、聞いてみた。

 「カミヨンなんてないさ。歩いて来るんだよ。ほら、見てサンダル」と、鼻緒の切れたサンダルのつま先を持って見せてくれる。

 「ええっー、ほんまかいなー。信じられへんなあー」と、言いつつも、その母親は、本当にデカイ人(体格の良い)で、気持ちの良い程に、たくましく見えるので、「んーっ、このお母さんならあり得る」と、思わず笑ってしまった。

 他のスタッフも笑った。まだ部屋に残っていた母親達も笑った。当の本人も、鼻緒の切れたサンダルを持ったまま笑っていた。さらに、サンダルを高く揚げてみんなに見せてくれるものだから、また、みんな笑った。

 負けた、負けた。私の完敗である。子供を背負ってこの炎天下、おそらく、ゆうにニ時間以上はかけて歩いて来た。どれくらい時間がかかったのか、聞いても答えは無い。(そりゃー、時計なんてないから、何時間かかったか、なんて分からないよなー)軽く十キロメートルはある。

 途中でサンダル(といっても、薄っぺらなゴム草履)の鼻緒が切れても、そのまま歩き続けてやって来た。でっ、やっと診療所にたどり着いたら「遅いから、もうワクチン無くなったよ。一人の為に新しいワクチンは開けられない。また今度、ついでの時でいいから、少し早めに来てよ」と、言われてしまった、「すべり込み・・・アウトー!」だよなっ。んーっ・・・どうしよう。今度は私も悩んでしまった。」

 「でっ、帰りにまた、サンダル買って帰るの?サンダル買うお金はあるの?」と聞いてみた。「直すのさ」と、、マルシェ(市場)の近くには、靴を修理してくれる店がある。彼女が履いているようなサンダルは買うと、三〇〇〜四〇〇CFA、直すのに、日本人が行ったら五〇〇請求されるが、実際は、もう少し安い。(三〇〇CFAは六十円くらい)(もう新しいワクチンを開けて打ってあげるしかない)

と、思いながらも、自分一人の判断で、三本の新しいワクチンを一人のために開けて使うことに戸惑った。誰かの了解なり、賛同が得たくて、周りにいたスタッフや、Hさん(一緒の所に配属されている栄養士。三年目、スタッフの信望も厚い)に、「どうしよう、開けてもいいかなぁ?」「んーっ・・・」笑っているが、返事に困っている。「いやー、もったいないから開けない方が良い」と、いう明らかな否定の声はなかったので、意を決して、冷蔵庫のある助産婦の休憩室に、ワクチンを取りに行った。

 助産婦の助手がマラリアと診断され、床に横になって休んでいた。一人のために、ワクチンを開けることは言わず、黄熱病と風疹のワクチンを取ってポケットに入れた。この二つのワクチンは、ここにも在庫が豊富にある。いつも不足して困っているのは、三種混合と、母親の為の破傷風のワクチン(テタバックス)だ。そのテタバックス、はるばるやって来た母親に三回目を打たなければならない時期であったが、さすがに冷蔵庫に一本しかないと、持ち出すことはできなかった。

 助産婦の助手は、ぐったりしていて元気が無い。しんどそうである。夜も二人しかいない助手が交替で診療所に寝泊りしている。お産を取るために。去年、看護助手の若い男性が、熱を出して一週間位して亡くなったという。ここで働くスタッフ達も健康を害することが少なくないようだ。まずは、自分の体を大切にして欲しいと思う。

  ワクチンの接種をしているところ

ここでは、熱が出ても、濡れた布で冷やすといった看病のようなことが、患者になされていない。冷蔵庫にある、ワクチンを保冷する為に使う氷(プラスチックの平たい容器に水を入れて、凍らせているもの)を、ニ個取り出して、「枕にすると、気持ち良いよ」と、渡す。廊下側のドアは閉めており、小さな窓も換気は不十分で、部屋は、熱気がこもっている。きっと、庭の木陰で休んだ方が、病人には良いだろう。

 子供に麻疹と黄熱病のワクチンを打つ、針を刺しても泣かず、薬が入り終えた頃に少し泣くだけ。母親に似ているのか、とても強い子だ。女の子。母親のワクチンは今度、ついでの時に来るように言う。(来年の二月、子供が三種混合ワクチンを受ける時に来るようだった)

 遠い村から歩いて来て、一休みして、ワクチンを打ってもらえ、サンダルの鼻緒が切れても得心したのか、母親は、「メルシーボクー、マダム」(どうもありがとうございました、の意)と、心から出ているお礼の言葉を述べて帰っていった。

  カグベで会った健康的な女の子 こんな子供がもう下の子の子守をする

 午後、一時半頃、家に帰る途中、マルシェに寄って買い物をしていたら、体格の良い、子供を背負った、さっきの母親に声をかけられた。相変わらず活気のある大きな声で、「ほら、サンダル直したよ」と、足下を指して見せてくれた。彼女はサンダルを直し終えて、マルシェに着いたところ。ワクチンに来る時しか、町には来ないと言う。これからマルシェで買い物をし、馴染みの店のマダム達と、久しぶりのおしゃべりをして、また、来た道を子供を背負い、買ったものを頭に乗せて帰っていくのだろう。たくましいー!

 惚れ惚れするような、頼もしい母親だ。この母親に会えて、気持ちの良い一日だった。