エクアドル便り      「りる」第10号より

     エクアドル        H.B.

                     平成6年1次隊

                     理数科教師

 

 平成6年7月、青年海外協力隊員として日本を立ってから早もう1年3ヶ月にもなります。今日はガラパゴスの方が有名な、エクアドルという国からちょっとお便りさせていただきます。

 エクアドルというのは日本ではコーヒーで有名なコロンビアと遺跡で有名なペルーに挟(はさ)まれた、赤道下の北半球と南半球にまたがる国です。日本よりもさらに小さな国ですが、ガラパゴス諸島は勿論、標高6000m級のアンデスの山々が縦断し、東にはアマゾン地帯が広がり贅沢(ぜいたく)な自然に恵まれています。赤道直下のため季節感はなく気候は年中安定しており、標高差に合わせて農作物にも恵まれ、中でもバナナは日本のスーパーでも見かける事があると思います。

またエクアドルのインディヘナは民芸品を作る能力に優れ、一説によると世界一お金持ちのインディヘナと言われています。(本当かな?)。

他の南米諸国と違うところは、日系人が非常に少ないため日本の文化も余り知られておらず、日本食などが手に入りにくい状況で、そう言う面では南米一、日本から遠いところとも言えます。

他に、日本製の車、電気製品が多く見られるにも関わらず、日系人が少ないと言うこともあって、道を歩いているだけでよく中国人と間違えられ、「チーナ!」(中国人)と呼ばれます。日本についての知識はまだまだで、日本も韓国も中国も一つの国だと思っている人もいて、それぞれが全く異なる言葉を話し、異なる文化を持っていると教えると驚かれます。

私たち日本人も南米について聞かれると自信を持って答えられる人は少ないと思いますので、エクアドルの人にとってはなおさら仕方のないことかもしれません。さらに、今年1月のペルーとの国境紛争で、フジモリ大統領が日系人という事でアジア人についての印象が悪くなってしまったのが本当のところです。

 現在私が住んでいるのは、標高2800mの高原都市、首都キト。朝晩は冷え込みますが昼間は過ごしやすく、しかし日差しが強いため日焼け止めクリームは欠かせません。ここキトで私はエクアドル人家庭宅にホームステイし、国立タルキ中高校という学校で理数科教師として働いています。

私の学校はキト市南部、学校の隣には市場があり一般に泥棒が多いとされているところです。生徒は貧しい子が多く、学校のない時間帯は働いたり、家の店番や子守を手伝っているようです。

学校には1年生から6年生(日本では中学生と高校生に相当する)が在籍し、落第制度もあります。校舎が非常に狭いため、4年生から6年生までが午前(7:00〜12:25)、1年生から3年生までが午後(13:00〜18:25)と分かれて勉強し、校長、副校長そして事務職の人達以外の先生方もまたそれぞれ別々に存在します。なんと夜になると、別の名前の夜間校に変わったりもします。

 

  学生たちに囲まれたB隊員



全校生徒は約1000人、1,2,3年生は多いのですが、4年生以上にもなると辞めていく子が多く生徒数は半分以下となります。一つの授業は40分で、日本のように10分の休み時間というのがなく、午前と午後にそれぞれ一回だけ25分の休み時間があるだけなので、生徒は勿論先生方もまた授業には遅れてやってくるため、一コマ実質30分くらいしか授業されていません。

4年生からは専門コースに分かれ、私の学校では社会科コース、生物・化学コース、数学・物理コースがあります。学校によっては、商業コース、情報処理コースなどがあります。

 現在私は学年末休みですので、前年度までに行った活動の中で、化学クラブの発表会と日本文化紹介を含めた文化祭を行ったことについて報告することにしましょう。

 現在の学校に配属になるとき、校長先生からの要望で、化学クラブを作って発表会ができるまでにして欲しいという話がありました。幸い、この学校には生物・化学コースがあるのでその生徒達を対象に午後の放課後を使って活動することになりました。

教師経験もなく、大学でやっていたことなんてすっかり忘れてしまい、全くの手探りの状態で始めましたが、日本から持ってきた本と格闘し、幸いにも協力的な生徒にも恵まれなんとか6月に発表会を開催することができました。また、発表会だけでは物足りないと思い、在エクアドル日本大使館、他の隊員達にも協力を得て日本文化紹介も行いました。

 当日のプログラムは、化学クラブの発表が、スプーン電極を利用したラーメン作り、紫キャベツ抽出液によるpH指示薬、炎色反応ろうそく、カルメラ焼き、巨大シャボン玉作りです。これらの発表に際してはOHPや、実演が難しいものについてはビデオに修めてそれを流したりしました。勿論発表は全て生徒が行い、私はじっと見ているだけでした。


日本文化紹介は大使館からお借りした日本の学校紹介のビデオの上映、パネル・日本人形展示、音楽隊員達によるコンサート、他隊員協力による折り紙教室を行いました。狭い講堂には全校生徒が一度に入ることはできないので、学年に応じた内容で例えば1年生には日本文化ビデオ上映と折り紙教室、6年生には化学クラブの発表とコンサートという風にプログラムを組みました。

 

 化学クラブ発表会と折り紙教室



また、学校の治安上の問題から前日の準備は一切できず、当日早朝からの会場設営となりました。私一人ではどうにもできないことでしたが、朝早くから夕方まで、校長先生、学校の事務員さん・用務員さん達、日本大使館の方々、他隊員達が本当によく協力してくださいました。

ただ一つ残念だったことをあえて言うなら、先生方は全くの招待者となってしまったことです。生徒と一緒になって折り紙教室に参加したり、会場にいてくださった先生もいれば、その日の自分の授業がこの文化祭によってなくなったのをいいことに帰ってしまう先生もいて様々でした。

現在私は一応夏休みですが、次の年度の授業準備のために化学実験のテキスト作りを行っています。先日学校に行ってみたところ、もうすぐ新学年が始まるというのに水道代が払えていないため水道を止められている状態。なんと蛇口までもがなくなっていました。

私が購入するようお願いしておいた薬品類は勿論揃っていません。おまけに10月からしばらくの間、先生方は給料値上げのストライキに入ると新聞で発表。ペルーとの国境紛争で削られた国家予算項目は医療費と教育費、その一方で軍の施設だけは次々に建設が進んでいます。来年は大統領選挙、さあ、これからのエクアドルはどう変わっていくのでしょうか? 次回のお便りをお楽しみに。では。

1995年9月末日
エクアドル キトにて