帰国隊員報告          「りる」第26号より

     エクアドル       M.M.

                     平成10年2次隊

                     水泳

 

 ただいま、ご紹介にあずかりました、M.M.と申します。
 私は南米の赤道直下に位置するエクアドルという国で、平成10年の12月から平成12年の12月までの2年間、水泳隊員として活動をしておりました。

 国際化時代で、テレビなどで世界中の情報を入手する事ができる、といわれていますが、エクアドルともなると、日本で入手できる情報も少なく、出発前は、どのような生活が始まるのか、不安な気持ちでいっぱいでした。

 何よりも私を不安にさせた事は、前任者の方から送られてきた、私の現地での仕事の内容が書かれた手紙でした。その中には、水深2.5mもあるプールで、全く泳ぎを知らない小学生を担当する事になる、と書かれていました。日本のプールでよく見られる、水深を浅くするための補助台は、資金不足のために購入できないとのことでした。

 以前に、スイミングスクールでのインストラクターの経験はありましたが、自分自身も足が届かないようなプールで、全く泳ぐ事ができない小さな子供たちに指導するという経験はなく、どのような状況になるのか、想像できず、不安な気持ちは積もる一方でした。

 そんな不安を胸に、現地に着いてから、さらに驚かされたことがありました。それは、現地のインストラクターたちの指導方法や、それを見ている、子供たちの父兄の反応でした。

その水深2.5mのプールに、泳げない子供たちを突き落とし、しばらく、おぼれさせた後、インストラクターが持っている棒に子供たちをつかまらせ、引き上げるというもので、そうしている間に、自然に泳ぎを覚える、ということでした。さらに、子供たちの父兄は、それが正当な指導方法であると信じているようで、横で笑いながら見守っていました。

 このような状況で、水が嫌いになって、プールに来なくなる子供たちは後をたちませんでした。見かねた私は、インストラクター達に、改善案を持ち掛けましたが、まだ、人生経験も浅く、女性である私の意見は、なかなか受け入れてもらうことができませんでした。

 何をするためにここに来たんだろうと、来る日も来る日も考えながら、それでも、自分の方法を信じて、自分が教えている子供たちには、水泳を好きになってもらおうと一生懸命、無我夢中で教えるように努力していました。

そうしている間に、子供たちは私の周りに集まるようになり、何人かの父兄は、自分の子供を私のクラスに入れたいと言ってきてくれるようになりました。そして、ふとプールを見渡してみると、私の意見に反発していたインストラクター達が、私の方法を見よう見まねで覚えて、指導をしている様子を垣間見ることができるようになりました。

とても胸が熱くなる光景でした。私は、この時、何か伝えたい事、して欲しい事がある時は、言葉で伝えるだけではなく、自らの身を持って示せば、いつかは理解してもらえる、ということを実感することができました。

 このように、私は、この協力隊の活動を通して、たくさんのことを学ぶ事ができました。特に、現地の人々から学ばされることが多かったように思います。

 現在、日本では豊饒の時代で、何でもすぐに手に入れることができ、何か不便な事があれば、すぐに必要なものを買う、という事で解決しているように思われます。

先ほどの、水深2.5mのプールで指導するという場合にも、まず、私は補助台を買う事を考えていました。しかし、現地では「物を買う」ということは決して簡単な事ではありません。そこで、同じ状況の中で、いかにすれば、より良く、効果的に指導できるのか、という事を考えなければいけませんでした。

しかし、そのようなアイディア能力は、日本での物にあふれた生活、「物を買う」ことに慣れていた私よりも、「物を創る」ことに慣れている現地の方々の方が優れているようでした。私が、こういうことをしたいんだけど、と相談を持ち掛けると、私一人では想像も出来なかったアイディアを提案してくれることが多く、厳しい環境の中で、生きるたくましさを肌で感じることができ、感心する事もよくありました。

 また、人と人とのつながりの大切さも教えられました。日本で、スイミングスクールのインストラクターをしている時には、同じクラスの生徒どうしが授業中に助け合っているところは、まず、見たことがありませんでした。

しかし、現地では、プールの水深が深い事も関係していたのかもしれませんが、生徒同士で、プールから上がるときに手を差し伸べたり、困っていたら助けてあげたり、励ましの声を掛け合ったりする光景を何度となく、見る事ができました。

このような、心温まる言葉や光景は、水泳の授業中だけではなく、普段生活している時も、私の周りでたくさん聞いたり、見たりする事ができ、ひとりの人として、周りの人々と助け合って生きる事の本質を見せられたような気がしました。

 このように、協力隊員として、現地で活動している間に、日本で生活している間には決して体験できなかったであろう様々な経験を通して、多くの事を学ぶ事ができました。

 私はこの4月より、県庁の国際交流課で、海外から、それぞれの技術の向上のために訪れる、研修員の受け入れを担当させていただくことになりました。日本社会で働くという事は、協力隊員として、ボランティアに参加するのとは、また異なり、責任が重く、更なる機転や状況判断などの能力が要求されるように感じます。

まだまだ、経験不足の私には、毎日、自分の力不足をひしひしと感じさせられ、気持ちを新たにさせられますが、私は、協力隊に参加したからこそ、できる事、理解できる事、感じられる事、があると思っています。

この素晴らしい経験を、これからの日本での仕事や生活に活かしていきたいと考えておりますので、今後ともご指導、ご鞭撻の程をよろしくお願いいたします。

 最後になりましたが、ここにお集まり頂いた皆様方や、現地での活動を応援してくださった方々に厚くお礼を申し上げまして、帰国報告とさせていただきます。ありがとうございました。