協力隊活動一年を迎えて        「りる」第6号より

     ガーナ         K.Y.

                     平成5年1次隊

                     理数科教師

 

 ガーナでの理数科教師としての活動も一年たち、私は様々な体験をする機会に恵まれた。今回”協力隊を育てる会”の皆様の日頃の御支援に対する感謝の気持ちを表するのも兼ねて、私がこの地において今何を学びとっているか、二つの項目に関して率直につづってみたい。

 一点はガーナの教育現場の実態について、一教師として。

 私は生徒数四五〇名(三学年三クラス)の田舎の高校(セカンダリー・スクール)で理科を教えているわけであるが、理科と数学のレベルは、はっきり言って相当低い。例として数学では掛け算や割り算が満足にできない者が非常に多い(それでも足し算や引き算ができるのは、マーケットで親を手伝って物を売らなければならないためである)。

この理由は、小・中学校(プライマリー及びジュニア・セカンダリースクール)で理数科を教える者がいなかったため、理科と数学を全く学んでいない生徒がかなりの割合を占めるからである。

そんな彼らに数学では二次関数やらベクトルを、理科ではモルの概念やら細胞を教えなければならないのだから、彼らもチンプンカンプンであろう。また、教師はしゃべるのが商売である。私はここに来てしばらく、英語もたどたどしい自分が先生なんてやってていいんだろうか、と考え込んだこともあった。

しかし全くの杞憂。理数科教師がどの学校でも決定的に不足しているのである。数字はガーナ人同僚教師二名理科は私一名、我が校はボランティアでも英語が下手でも理科を教える者がいるだけましなのである(しかも日本人教師は語学のハンデを除いては、理科・数学をはるかに良く理解している)。

そして去年、ガーナの教育制度が改革され新制度になって初めての卒業生を出した。旧制度は五年制、新制度は三年制であり、旧制度は修了までに時間がかかりすぎる、という理由から廃止されることとなった。が、今まで五年間で学んでいたことを凝縮して三年間で教えきろうとするのだから(しかも生徒の学力は相変わらず低い)、学力のさらなる低下は否めない。

昨年の十二月、全国統一の卒業試験が行われた。この試験の結果によって、大学、教員養成校等の上級学校の入試受験資格を得るわけだが、ガーナ全国結果は散々。合格者のあまりの少なさに急きょそれは入学資格に切り換えられた(ちなみに我が校も合格者ゼロ)。

この様に、ガーナの発展は教育水準の低さによって足を引っ張られている、と私は思う。今の段階で高性能の機械や最新の技術を要する工場を援助しても、人々の多くは使いこなせないのである。この国にとって最もためになる援助の方法は、今のところ学校教育のレベルアップに何らかの形で貢献することである、と私はガーナの周辺及び底辺部にいてそう思う。

 もう一点は日本の国際社会における態度について、一日本人として。

 黒人の国ガーナでは我々東洋人や白人は非常に目立つ。最近ガーナではあの「おしん」が放送され、テレビを持っている都市部の中流階級以上の人々に大変な人気である。このため首都「アクラ」や任地の近くにある州都「ホ」に行く度に、夫人も子供も私のことを「オシン!」「オシン!」と連呼するのにはほとほとまいっている。

また、そういう都市部には映画館の感覚でビデオを見せるビデオシアターがあって、しばしば香港製のB級カンフー映画が上映される。そこで我々東洋人を呼ぶのに「チュン・チャン!」とか「チュン・チョン・チャン!」。

どうやら中国語の発音を馬鹿にした呼び方らしい「オシン!」ならまだしも(私は日本人だし)「チュン・チョン・チャン!」は中国人に対しても非常に無礼である。こう呼ばれる度に(しかも彼らは私の姿が見えなくなるまでゲラゲラ笑いながら私を呼び続ける、理由の一つは私の注意を引きたいためもある)、「こっ、このガーナ人め!私が何したって言うんよぉ!」と叫びたくもなる。

日本と日本人、我々の思っている以上に他国から注目及び観察されている。ガーナの新聞、テレビ(一局しかないが)ラジオでは連日の様に日本の動向が伝えられている。そこで日本人であるが、国内及び国外においてこれらのガーナ人たちの様な失礼なふるまいを外国人に対してしてはいないだろうか?

ガーナに来て初めて認識したのだが、日本は想像以上に「大人の国」「洗練された国」として行動することが要求されていると思う。よく日本でも子供たちが外国人を見ると「ガイジン、ガイジン!」とはやし立てるが、これがどれ程の精神的ストレスになるか(特に長期滞在者にとって)私は自分のものとして理解できる。

これはほんの一例であり、私がガーナ入の私に対する言動から学んだことは(反面教師として)数知れない。あと一年私はこの地で暮らす。私はガーナとガーナ人の良い所も悪い所も見てそして受け入れて帰国するつもりである。その日まで、皆様の多大な御支援に感謝しつつ

  
屋根と柱と黒板だけの吹き抜け教室でガーナの女性徒に「原子の構造」を教えるY隊員