インドネシアレポート        「りる」第7号より

     インドネシア         I.O.

                     平成3年2次隊

                     看護婦

 

 青年海外協力隊の看護婦隊員として、私はインドネシアで二年間活動し、平成五年十二月二十七日に帰国しました。

 帰国した頃日本中で大騒ぎしていたのは不景気だとか、米不足についてでした。その時これが日本の現実の姿かと思うと、とても残念でした。不景気だと世間は騒いでいても私にはどうもピンとこないのです。皆縞麗に着飾りおいしい物を食べ、当然電化製品など文明の利器に囲まれた生活をしているではありませんか。中には本当に窮地に陥っている人もいるのかもしれませんが、一般的には充分食べて生きてゆける状態だと思うのです。

 米不足の件については言葉もありません。
 気象の影響で不作となり外国からの輸入に頼ることになったにもかかわらず、外米を”まずい”などと批判的な態度をとる日本人。

 ”まずい”のではなく、日本人の口に合わないだけのことだと思うのです。国が違えば食生活も当然違います。その国ではその米を常食にしているわけです。もしこれが逆の立場だったらどうでしょう。つまり、日本の米を他の国の人が”まずい”などと評価したら、多分日本人は心外だと思うのではないてしょうか。

マスコミの影響も大いにあるように思いますが、本当に失礼な日本人だと思います。日本は諸外国に比べると経済的に発展し過ぎてしまいその中で生きている日本人は、人間として生きてゆくために大切なものを見失ってきているように思います。私ももしインドネシアでの経験がなかったら、特に気にならなかったことかも知れません。

現在の日本社会が当たり前だと思い、何気なく見過ごしていたと思います。でも、一歩外へ出て改めて日本を見ると、いろいろなことに気付くのです。インドネシアの人々との会話の中で、よく話題になったことですが、

 『日本には腹切りというのがあるらしいね。日本人は自殺する人が多いらしいが、どうして自殺するんだい?』と聞かれ、

 『日本人は仕事や生活のストレスが多く、生きることより死ぬことの方が楽だと思う人は自殺するのよ。』と答えると、『俺達はお金もないけど、ストレスもないよ。アハハ ・・・』と彼等は笑いました。

 『日本人はどうしてまじめに働くんだ?』と聞かれ、
 『日本には四季があるから先々のことを考えて生活し、果ては老後のことまで計画を立てて生きている。そういう規律正しい社会なんだよ。』と答えると、
 『へぇ〜俺達は明日のご飯の心配はするけど、明後日(あさって)のことは考えていないよ。アハハ・・・』と、実に明るい返事が戻りました。

 『日本人はみんなお金持ちなんだなあ。』と言われ、
 『お金持ちじゃないよ。普通に暮らしている人ばかりよ。』と答えると、
 『違うよ。日本人は若い人もみんな大金持ちだよ。だってみんなインドネシアに遊びに来るじゃないか、旅行で。俺達は一生働いても日本へは行けないよ。』と言われ、私は返す言葉がありませんでした。

 この様に日本の中では特に気に留めない日本の現状を途上国であるインドネシアで気付く機会を得たことは、私にとって大変有意義でした。そして経済的には貧しいながらもとても心豊かに生きている彼等と出逢い、共に暮らした二年間は私にとって本当に貴重な年月であったと思います。

 思い返せば、青年海外協力隊という言葉をはじめて耳にしたのは五年前でした。その後仕事帰りの電車の中で募集ポスターを見て、思わず説明会の日時をメモして帰ったのを覚えています。「一枚のポスターから」、と、まるでドラマのような展開ですが、当時、協力隊に参加したいという強い思いがあったわけではありませんでした。気軽に受けてみたら合格してしまい、驚きと喜びと困惑で、とても複雑な気分でした。

また、周囲のどの人に話しても反対こそされましたが賛成してくれる人はほとんどいませんでした。けれども、反対されればされるほど私の心の中では決心が固まり、視野を広げ、自分の可能性に挑戦してみたいと思うようになったのです。友人には頑固で意地っ張りな女だと言われましたが、本当にそうだと自分でも思います。

 十人十色であるよう、に協力隊活動の内容も感じることも様々ですが、私は私なりに満足のゆく二年間を過ごしたつもりです。現在私は青年海外協力隊事務局で、医療調整員として研修中です。平成七年一月より再びインドネシアの地を踏む予定です。今度は青年海外協力隊員の健康管理を主な業務とする医療調整員という立場で赴任することになりました。

 こうしてまた、婚期を逃がしつつある乙女ですが(?)今後共どうぞよろしくお願いいたします。



新卒ナースを対象に種々の看護技術を実践指導するO隊員