帰国隊員報告        「りる」第20号より

     ジョルダン         I.K.

                     平成8年2次隊

                     養護

 

 人口約500万の90%以上がイスラム教徒でアザーンという礼拝を勧める放送がイスラム寺院(モスク)のスピーカーから街中に流れ、髭(ひげ)を生やした男性、イシャールというスカーフで髪を隠し体をすっぽり覆(おお)うコートを着た女性、人々の声や車の喧騒(けんそう)、軒先に出した椅子に腰掛け、ただ表を眺める人、国土の8割にひたすら広がる土漠、放牧の羊の群、砂挨、灰褐色の小さな四角い家・・・そんなところでした。

 そんななかで私は、首都より南へ30km下ったところにあるマダバ特殊教育センターに配属されました。マダバ特殊教育センターは1995年に国立で初めて設立された4歳から12歳までの知的に障害を持つ児童のためのセンターで、二階建ての家を借り切り、そこに、全国から集められた20名の児童が生活しており、近隣に住む15名の児童が学校の代わりに通ってきています。

  マダバセンターの子供たち


 日本でいう養護学校とその寄宿舎をひとつに併(あわ)せたようなところです。

 そこで私は、現地の職員と共に子どもと関わりあうなかで、授業の内容や生活プログラムを考え、また、行事を企画したりしていました。

 どこの国に派遣された隊員にも共通のことと思いますが、そこで、日本ではないところで「仕事」をしようとすれば、「仕事」や「技術」以外の問題に悩まされます。組織の未発達や、労働意欲、協調性、問題意識の無さ、日本人好みの言葉でいえば、完遂(かんすい)や和といったもの、努力や忍耐、さらには誠実や思いやりといった言葉も含まれます。それを感じました。

それらは日本にしか通用しないものもあり、己の視野や視点のみで善悪をつけるものではないのですが、自分のなかに意識せずとも自然に身についている日本的なものと、今ある現実の享受に葛藤(かっとう)する場面は多々あります。例えば・・・。それを、文化や風土の違いと有体に片付けてしまうこともできるのですが、一個の人格の形成において「教育」の果たす役割も見逃せません。

 まあ、そんな訳で現地の職員と接すれば接するほど「仕事」や「技術」より前の基本的な問題を感じるのですが、そのなかのひとつに「交流」という問題もありました。国内での「交流」にも沢山の意義があります。まず、同じ国の人が集うことによって、外国から技術を形としてだけ受け取るのではなく、自分たちの現状を如何(いか)に把握し、問題意識に気付き、それを高め、互いに刺激しあい、良い点も悪い点も影響しあい、改善策の模索(もさく)に役立てる、といったことなどです。

施設という場所は世界の何処(どこ)においても閉鎖的な場所ですから殊更(ことさら)「交流」が必要になります。意図的に「交流」の機会を設けなければ社会からますます隔離されてしまうものです。それは施設利用者も施設職員も同じです。「交流」というより単に「集まる」という機会、しかし、だからそれだけでいいのかという疑問も残りますが、とりあえず「集ま」らなければこの国の福祉分野自体、何も発展しないし、何も生まれないと判断しました。

 そのような職員同士、あるいは施設利用者と地域住民が一同に見える機会の殆(ほとん)どない、この北海道くらいの小さな国に、当時、福祉関係の隊員が6名おり、それぞれの施設で一外国人として働くことに行き詰まりを感じていました。そこでそれぞれ配属先の違う隊員同士がまず集まり、社会開発省というジョルダンの福祉分野を司(つかさど)る省庁へ、現状の問題点と改善点を提案し、協議を重ねました。

  障害者まつり 1

その結果、日本人と現地の職員を講師として施設合同職員研修や他施設の見学会を数回開催できましたし、交流と啓蒙、利用者の外出、楽しみの目的でジョルダンで初めての全国規模のイベント、「ジョルダン障害者まつり」を2回開催できました。「まつり」には約30施設の利用者・職員、保護者、一般参加者、と1000人もの人が集まり、各施設から劇や歌などの出し物、絵画展、遊びのコーナーと盛大な内容に楽しめる交流の一日になりました。

  障害者まつり 2

 以上がジョルダンでの私の活動ですが、活動の評価は自分で簡単にできるものではありません。活動以外の生活も含めた2年という生活を、それが海外だという理由だけでもって、ただ単に、よかったとか悪かったとか、いい経験であった、などとひとことで纏(まと)めてしまうこともおかしなことだと思います。ただ、海外での生活で、今まで自分の育った場所について、或(ある)いは嘗(かつ)て接点のなかった人達と実際に関わってみて、改めて自分の反応に驚き、自分の中に何があるのか、少しは気付き、考えるきっかけになったことだけは確かなようです。

 

  フェスティバルの様子