現地隊員レポート    「りる」第40号より

                                                    カンボジア   Y.N
                                                             平成17年度1次隊
                                     理数科教師
                                                                


『カンボジア便り!』

 チョムリアップスーオ!(こんにちは)
 戦乱の傷跡がまだ残るカンボジアから、カンボジアの様子、私の生活しているタケオ州ドンカウ郡の様子、そして、ほんの少し配属先の様子を伝えます。

 カンボジアといえば・・・
 皆さんは何を思い浮かべますか?多くの方は、アンコール・ワット遺跡を思い浮かべることでしょう。アンコール・ワットのあるシェムリアップ州は、カンボジアの北に位置し、タイに近いところに位置します。
  バケンサンから望む虹のかかったアンコール・ワット

皆さんも承知の通り、世界遺産であるアンコール・ワットは多くの観光客が訪れます。そのため、シェムリアップ州には外国人向けに作られたお店やホテルがたくさんあります。なので、皆さん、いつでもいらしてください。日本語を話すカンボジア人もたくさんいるので大丈夫です。

 首都のプノンペンは、カンボジアの南の方に位置する小さい都市です。プノンペンでは日本とは変わらない生活を送ることができます。信号機あり、日本料理店あり、中華料理店あり、洋食屋さんあり、大型スーパーマーケットあり、なんでもありの、何不自由無い生活を送ることができます。

皆さんが、アンコール・ワット以外に思い浮かべることといえば何でしょうか?決して、プノンペンの都市の様子ではないかもしれませんね。私も、プノンペンに着いた時は、こんなに近代化した所が内戦のあったカンボジアなんて信じられませんでした。

 皆さんがイメージするカンボジアの生活は、私が生活しているタケオ州が近いかもしれません。そこで、タケオ州について話しましょう。

タケオ州は・・・
首都プノンペンから南に約75km下った所に位置する田舎町で、ベトナムヘ続くメコン川とバサック川(メコン川の支流)が流れており、ベトナムと国境を接しています。歴史的なことは苦手なため、間違えているかもしれませんが、ポル・ポト政権下(1975〜78)では、私の赴任先からベトナムに向かって大砲が撃たれていたそうです。また、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の活動場所でもあり、その時にタケオ州で活動していた日本人によると、その時からタケオ州は何も変わっていないということです。タケオ州が未開発であることが良く分かります。

私が学校に行く途中、また、食堂でご飯を食べている最中に、足を片方失った男性の方を普通に見かけます。彼らが自転車をこいでる様子、足のある人と変わらない生活を送っている様子を普通に見かけます。また、目が動かなくなっている売り子さんもいます。障害を抱えている彼らも、健常者と同様、自分で生計を立てていかなくてはいけないのです。厳しい現実を目の当たりにし、ここにはまだ、戦乱の傷跡が残っていると感じざるを終えません。

 昨年末から、道路の舗装工事が日本の資金援助の下ベトナム人の手によって行われています。私が赴任した昨年の8月には、舗装されたアスファルト道路は全く無く土の凸凹道だけでした。そのため、自転車をこぐのが大変で、また、自動車が通るとその土挨で前を見るのが大変でした。しかし、最近は道路が舗装されているのでとても楽に自転車をこぐことができます。

タケオの人たちは、「日本はカンボジアに一番たくさん援助をしてくれている」「同じアジアだから好き」と言います。そのためか、日本人の私にも優しくしてくれ、私の拙いカンボジアの言葉も頑張って理解してくれます。

 タケオ州の私が活動しているドンカウ郡には殆(ほとん)ど外国人がいません。今すぐ思い当たる長期滞在の外国人は、夫婦でボランティア活動をしているイギリス人と、奥さんと来ているニュージーランドのボランティアの男性、そして私の5人です。

当初、言葉が出来ないこと、そして、日本人がいないことでとても不安でした。しかし、同じボランティアの外国人や学校の先生が家へご飯に誘ってくれたり、学校に行く途中の道で近所の人が声をかけてきてくれるので、当初の不安は何処かへ行ってしまいました。そして、7ヶ月経った今はとても快適に暮しています。

 しかし、問題はいくつかあります。それは、電気と水の問題です。最近、よく停電になります。大家さんに、「今、電気つかないけど、大家さんの家はどう?」と興奮気味に聞きに行くと、「ちょっと待ってね」と言って自分の家の電気を今からつけて確かめてくれます。そして、大家さんの家の電気が点かないのを確かめ、隣の従姉妹の家の電気も確かめると「何処も電気が来てないから大丈夫」とあっさりとした返答が返ってきます。

ここに住む多くの人は、洗濯機、冷蔵庫は殆ど家にないため、あまり電気を使いません。そのため、停電になっても何も困りません。困っているのは、多分私一人でしょう。ちなみに、私一人の1ヶ月の電気代は約US$20ですが、この郡の一家族の一ヶ月の電気代は約US$5〜6です。カンボジア家族の4か月分の電気を、私は一人で、しかも、1ヶ月で消費しています。

 また、水に関しても同じです。殆どの家は水道がないため、水甕(みずがめ)に水を溜めてそこから料理に、食器洗いに、洗濯に、シャワーに、トイレにと水を使っています。私の郡では昼間によく水が出なくなります。ある日、シャワーを浴びている時に水が止まった時は、どうしようかと頭の中でいろんな考えが回っていました。何回か、水が止まることが続く中で、水の止まる時間帯が大体予測できるようになったので、その時間帯を避けて、水を使っています。

私が、水が止まって困った事を食堂のおばさんに話しても、おばさんは、何時もそうだよといって、平然としています。これもまた、困っているのは私一人のようです。

 タケオの人たちは、子供から大人までとてもフレンドリーです。外国人が少ないためか、外国人の私はタケオで目立っています。なぜなら、タケオの人たちは私の名前を知っており、私が自転車に乗っているのを見ると名前を呼んできます。

私が相手の事を知っていれば何も問題なく「こんにちは、元気?」と、笑い掛けれるのですが、私の知らない相手から声を掛けられると私は返事ができず、?マークの顔のまま通り過ぎることになってしまいます。その度に申し訳なく思います。

また、外国の援助がたくさん入っているカンボジアでは、子供たちはアフタースクールで英語を勉強しています。そのため、子供たちは、外国人の私を見て「Hello!」と、この時ぞとばかりに声を掛けてきます。英語教育が進んでいることに感心します。彼らは、外国人であれば皆「Hello!」と言うものと思っているのでしょう、「こんにちは」と言う子供たちはいません。

最近になって、「こんにちは」と声をかけてくる青年が出てきました。私は母国語が話せるのがとても嬉しいです。ただ、「ありがとう」と声をかけてくる青年には何と答えたらいいのか分からず、笑うしかできません。

香川は暖かくなっている季節でしょうか?
 カンボジアは、この2月は乾期なのでとても暑いです。水道から出る水はお湯です。カンボジアのおやつにボンアエムというかき氷に似たおやつがあります。最近とても暑いので、夕方になると、毎日と言っていいくらい市場や、近くのテント食堂でそれを食べて涼んでいます。

 また、フルーツがたくさんあるのが嬉しい限りです。私の家は一軒家で、パパイヤの木が4、5本あります。熟すると大家さんに取ってもらい、冷蔵庫で冷やして食べています。熟していなくても、大家さんはサラダ等にしてフルーツ以外の食べ方もします。カンボジアでは、このように未熟なフルーツを材料とした料理がいくつかあります。

 11月、12月に比べると、最近は日が長くなりました。長くなったといっても、6時半を過ぎるともう真っ暗で、オリオン座が綺麗(きれい)に見えます。余談になりますが、日本の星座の”スバル”はここでは”コーンモアン(鶏の子供)”と言います。ここには、街灯はなく食堂の明かりしかありません。そのため、夜の一人歩きは危険です。夜遅くなる時は必ず、誰かが家まで送ってくれます。夜中に出歩くような遊び場もないので、私にとって支障はありません。夜は、シーンと静まり返っています。聞こえるのは虫の声だけです。たまに近くの寺からお坊さんのお経をあげる声が聞こえます。夜は涼しいのでいろいろしたいのですが、こうも静まり返っていると私も早く寝なきゃと思い、最近は10時には寝ています。

私の赴任先・・・
 カンボジアには中等教員養成学校が6校あり、私の赴任校はその内の一つのタケオ校です。学校は2年制で、卒業後はカンボジアの中学校で教壇に立つことが約束されています。1学年8クラスあり、それぞれ科目ごとに分かれています。例えば、生物・地学クラス、物理・化学クラスといった具合です。一クラスの人数は様々ですが、大体20人〜30人です。そして学年によっても人数は異なります。ちなみに今年の1年生は2年生よりも人数が多いです。

タケオ校には他の州からも生徒が来ています。学校の近くに家がある生徒は毎日通っていますが、家が遠い生徒や親戚が近くにいない生徒は学校の寮に泊まっています。また、私の赴任校と同じ敷地内には、初等教員養成学校、職業訓練校、小学校があり、とても賑やかです。また、サッカーグラウンドもあり、土曜日の午後や日曜日には違う郡から中学生や高校生のサッカーチームがここで試合をしています。

 学校は、朝6時45分に朝礼と国旗掲揚があり、午前中の授業は7時から11時までの4時間、午後は2時から5時までの3時間、計7時間授業です。木曜日の午後は掃除の時間、土曜日の午後と日曜日はお休みです。11時から2時までの昼休みには殆どの生徒、先生は家に帰り、昼食をとり、シャワーを浴び、昼寝をします。仕事で忙しい先生は昼寝をしないこともあります。カンボジアは暑いので少し動いただけでも汗がだらだら流れてきます。特に乾期の今はとても暑いため、昼にシャワーを浴びないと体がベタベタなので私もお昼は家に帰りシャワーを浴びます。日本で昼寝の習慣がなかったため、家で昼寝をすると午後から学校に行くのが億劫(おっくう)になるため、私は昼寝をせずこの時間に言葉の勉強を先生としています。

協力隊の活動は・・・
 理科の実験の指導ということでこの学校に赴任しました。赴任校には実験準備室があり、私の赴任当初の実験準備室の印象は、「ここは、実験準備室ですか?」と疑ってしまうほど廃墟(はいきょ)と化していました。私は、まずこの廃墟と化した実験準備室を綺麗にしなければ活動が始められません。そこで、私がこの部屋の掃除をしたり、道具を洗ったり、写真を撮ったりしていると、近くの小学校から子供たちが次から次へとやって来ます。以前は、実験準備室は開いてなく、実験準備室の前が彼らの遊び場だったようです。この廃墟と化した部屋で、外国人の私が一人で何かしているのをとても不思議そうにずーっと見ます。また、準備室に置いてある骸骨を怖がって、逃げて行く子もいれば、興味を持って私に話しかけてくる子供たちもいます。
  骸骨に興味津々の子供たち

 準備室は汚いのですが、外国の援助のおかげで実験道具はたくさんあります。しかし、ダンボールに梱包されたままで使われていない道具が多々あります。そのため、ダンボールや発泡スチロールがシロアリに喰われその原形をとどめていなかったり、器械の隙間に水や土が侵入していて壊れていたり、薬品にはラベルが貼られていないため何の薬品か分からなかったり等、悲惨な状況でした。私は、驚きの連続で、その度に「えー、こんな状態になるまで放置していたの!」と叫んでいました。

 私は、使われず、放置されている援助された立派な実験道具がむしろ邪魔でした。道具を援助してそれで終わりならば、カンボジアの人にとっては何にも役に立たないことが良く分かりました。私は、これらの立派な道具を、学校の先生たちが使いこなせるようにする必要があると感じており、現在は生物の実験を先生に指導しています。

カンボジアに赴任して早7ケ月
 日本語に触れる機会が少なくなり(かといってカンボジアの言葉が上達したかと言えばそうではないのですが)、以前にも増して日本語がとてもぎこちなくなりました。そのため、今回のこの文章もとても読みづらかった事と思います。意識して日本の本を読み、次回は今回より良い報告ができるよう心がけます。

 乱文にも関わらず最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございます。
ソーム・オークン。