帰国隊員報告        「りる」第47号より

                                                    カンボジア   Y.N
                                                             平成17年度1次隊
                                     理数科教師
                                                                

『カンボジア帰国報告』

 17年度1次隊、カンボジア理数科教師、Y.N.です。私は、2年間高松の高等学校で生物の講師をした後、協力隊に参加しました。2年間の活動を終え、昨年7月に帰国しました。現在は、広島大学大学院国際協力研究科で途上国の教育開発の勉強をしています。

 私の配属先は中等教員養成校(RTTC)です。カンボジアにはRTTCは6校あり、その内の一つであるタケオ校に初代隊員として赴任しました。そして、要請内容をもとに活動目標を立てました。それは、先生たちが実験をできるようになること、また先生たちが生徒達に実験を教えることができるようになることです。

2年間の、学校の流れ

  2005年8月2日にRTTCタケオ校に赴任すると同時に、2ヶ月間の学期休みに入りました。10月から新学期が始まりましたが、先生や生徒対象の集会やカンボジアの伝統行事のプチュンバンで授業はなかなか始まりませんでした。

11月にはRTTCの入試があり、12月に新入生が入学してきました。そして、2月から2年生は8週間の教育実習に行き、4月にカンボジア独自のお正月であるクメール正月に入りました。クメール正月前後あわせて約1ヶ月間、学校はお休みになりました。クメール正月が開け、5月から1年生が6週間の教育実習に行きました。このようにして養成校での1年はながれていきました。養成校の生徒は2年間ここで勉強を行った後、中学校の教壇に立ちます。

私の活動内容

(1)実験室の整理整頓

  初めて実験室に入った時は『ここが、実験室ですか???』と疑うくらいでした。机があるのにそれは物置になっていました。また、化学の薬品はばらばらに置かれていたり、実験道具には土がこびりついていたり、シロアリに食われているものもありました。私が掃除をしていると、理科の先生を始め違う教科の先生たちが見に来るのですが、手伝ってくれません。唯一手伝ってくれたのは物理の先生でした。

実験室の掃除をして、予備実験ができるようにテーブルを使えるようにし、また、化学薬品は分類をしてラベルを貼り、それぞれ分けて置きました。

(2)先生を対象にした生物の実験勉強会

  実験勉強会を行う前に1人で予備実験をしていると、たまに、いろんな先生が興味を持って見に来ました。生物の勉強会を実施して気付いたことは、生物の先生は生物の知識しか持っておらず、化学、物理に関しては基礎知識がないということです。

例えば、ある濃度の砂糖溶液を作る場合に、水100mlにどれだけの砂糖が必要なのかが分かりません。また、メスシリンダーやはかりなどの化学器具の使い方をしりません。生物実験でも化学の知識が必要な時は多々あるので、化学の基礎的なことも教えました。


科学の実験器具の使い方を学校の先生に教えているところ

(3)生物の学生実験の補助

  先生が私と行った実験を生徒に教えたいと思ったら、学生実験を行います。私はその補助を行いました。実験勉強会で私が作成した実験手順記載の模造紙を、先生は学生実験で手順を説明する時に使っています(私が帰国した今でも使っているそうです)。

学生実験の中で私が気をつけていたことは、観察後の考察を行うことでした。当初は観察したらそれで終わりだったのですが、それでは観察の意味がないと思い、その観察に関する質問を用意しました。そして、生徒に考えてもらい、発表してもらいました。

(4)他の理数科隊員との実験巡回指導

  私は、物理・化学の知識が乏しく、また実験技術は未熟です。そのため、物理・化学の実験は教えていませんでした。しかし、物理・化学の先生からは、生物のように実験を教えて欲しいという要望はいつも聞かされていました。

 私が赴任して1年後、新たな理数科隊員が数人、しかも、物理・化学を専門とする隊員が私とは違う教員養成校に配属されました。

理数科ネットワークができたのをきっかけに、隊員が配属している4校の養成校を1週間近くかけて回り、それぞれの専門の実験を指導しました。例えば、プノンペンに赴任し物理が専門の隊員は私の養成校で物理の実験を、また、地方都市バッタンバンの養成校に赴任し化学が専門の隊員は、私の養成校で化学の実験を教えてくれました。そして、私は彼らの養成校に行き生物の実験を教えました。

 この巡回指導を通して、自分のできないことは無理してまでもしなくてもいい、自分のできることを持ち寄って協力しあうことも大事であると感じました。

(5)生物実験書の作成

  カンボジアにはクメール語の副教材がありません。そこで、様々な先生の協力の下に、カラー写真入りのクメール語版実験書を作りました。ここに収録した実験は私が実験勉強会で行った実験であるため、先生は少なくとも一度は行ったことがある実験ということになります。この実験書は、すべてのRTTC、6校においてもらうようにしました。それは、今後配属される理数科隊員に参考にしてもらうためと、RTTCの先生、生徒に実験を行う時の参考にしてもらうためです。

エピソード:1番印象に残っている出来事

  赴任して2ヶ月、学校も新学期が始まった頃のことです。私は日本で使用していた生物の実験プリントをクメール語に訳そうとしていました。それはこれからの実験で使えるかもしれない、と思ったからです。ちなみにこの日は土曜日で、RTTCでは土曜日は午前中授業で、休み同然です。

そこに、私のカウンターパートと言われていた生物の先生が私の様子を見て、『土曜日なのに来ているの?』『この実験はした事があるよ。』『2年間もあるのだから、ゆっくりすればいいんだよ』と言いました。この頃私は、この学校と日本の学校とのギャップを受け入れられていませんでした。

例えば、時間に厳しくないところや、予定を立てずに物事が進むことなどです。さらに、赴任当初はクメール語がまだ不十分でした。それらのことが重なり合って、かなりのストレスを感じていました。そのような時に、先生にこのような事を言われて、赴任当初の私は『私は何をしたらいいの?』『カンボジアの先生たちは何がどこまでできるの?』『私に何を求めているの?』と思い、すごく悲しくなり、涙があふれてきました。

 協力隊活動を終えて思うことは、このような状況を変えることができたからこそ、2年間楽しく活動ができたということです。では、どのようにこの状況を変えたかというと、それにはきっかけとなる出来事がありました。

 それは担当の調整員が私の配属先にきて、校長先生と話をする機会を作ってくれたことです。この時校長先生に、『洋子は何も話しに来ない』と、まず注意されました。そして、3つの要望を話してくれました。

1,実験のワークショップをして欲しい、
2,実験道具の使用書を作成して欲しい、
3,この学校で実施可能な実験を考えて欲しい、

ということでした。そこで、生物のワークショップをしようと考えました。しかし、それには対象者を誰にするかという問題がありました。

近くの中学校の先生を対象にすれば参加費を払わなければならないという、資金面の問題がありました。思いあぐねて、学校の先生たちに相談をしたところ次の案が出てきました。それは、私が主で養成校の1,2年生に顕微鏡の使い方を教えること。また、養成校の先生を対象に生物の実験勉強会を実施することです。ここで出てきた案は、学生実験の補助や先に述べたような実験勉強会というかたちで継続して行いました。

 校長先生の要望を聞いたことで、私の活動の道が開けたといっても過言ではありません。私の学校の校長先生は強面であったため、私はめったに話をしに行かなかったのですが、この時、校長先生と話をすることは大事なことだと感じました。

また、悩んだ時には現地の人に相談をすることが大事だと思いました。当然のことながら、現地の社会や文化は現地の人が一番知っています。その社会や文化に適応した活動でなければ、現地では受け入れられないと感じました。その意味で、何でも現地の人たちと相談することは大事なことだと感じました。

成果

  要請内容で言われたことが、達成できたかというと疑問が残ります。先生・生徒とたくさんの実験ができたことは事実です。しかし、それによって先生の実験レベルが上がったとは言い切れません。また、実験をたくさんしたことで、学生たちが実験から多くの知識を学べることに、気付いてもらえたかどうかも分かりません。

 ただ、こんな出来事がありました。

(1)今は中学校の教壇に立っているRTTCの卒業生が、『養成校で洋子と一緒にした実験を中学校でしたよ!他にも道具が無くてもできる実験ない?』
と言ってくれた事があります。また、

(2)生物の先生が、『以前、洋子と一緒にした実験を学生としたい』
と言ってくれたこともあります。

これらの出来事から、もしかしたら、先生や生徒に実験の大事さが理解されたのではないかと思います。

 私の養成校の先生は、私が誘うと実験はやるし、実験技術もすぐに身につけることができます。しかし、実験をしようと誘う人がいなければやらないのかな、という不安もあります。近い将来、援助がなくても、先生が自主的に実験を行って欲しいというのが私の願いです。


科学のアンモニアの噴水の実験の最中

2年間を振り返って

  現地の人の助けがあったからこそ協力隊の活動がありました。学校において、自分ひとりだけが実験をしたいと思っても、活動は成り立ちません。『洋子と一緒に実験をしたい』と思ってくれる先生がいたからこそ実験勉強会が実施できました。先生には授業があるし、家の仕事などで忙しいはずないのに、その時間をわざわざ私に割いてくれたのです。協力隊として赴任したのに、いつも現地の人に協力されていました。

 ここでは触れていませんが、協力隊の2年間は、学校・生活、すべての面において、現地のタケオの人々に助けられた2年間でした。以上で、カンボジアでの活動報告を終わります。最後に、育てる会の皆様、2年間、様々な支援をしてくださりどうもありがとうございました。