ケニアの部族像       「りる」第5号より

     ケニア       T.N.

                     平成4年1次隊

                     システムエンジニア

 

 つい一週間程前、国勢調査よる各州、各県、各部族ごとの人口数が新聞に公表された。やはり大反響であった。ケニアには大小52の部族があり多少似通ったものはあるがそれぞれの部族で独自の言語を持っている。

部族というと「首狩り族」や「ピグミー族」等のような一種異様なイメージを抱いていたが大陸においてはごくノーマルな人を区分けする手段として用いられている。一般に、公共の場での部族の話しはタブーであるが、その日ばかりは部族人口の話しでもちきりであった。

 部族別では、ケニア中部のキクユ族が一番多く、二番は西部地区のルイヤ族である。三番目はビクトリア湖畔のルオー族、その次がリフトバレーのカレンジン族である。

以上の四部族でケニアの総人口の60%を占めている。次にカンバ族、キシイ族、メルー族と続く。また、ケニアの部族は言語系統で大きく集約できる。例えばキクユ族とルイヤ族は西アフリカより東進してきたバンツー語系、ルオー族とカレンジン族はナイル川沿いに南進してきたサイロテック語系である。

バンツー語系の部族は農耕民族であったのに対してナイロテック語系は牧畜を主とした生活形態をとっていた。

 現在、私はエルドレット市(ケニアで四番目に大きな街)で活動している。ここは四番目に人口が多いカレンジン族の本拠地で、現大統領の出身地でもあるので活気があふれる美しい街である。街での挨拶は「チャムゲー」(ご気嫌いかがですか?)が行く人ごとに交わされている。

私の一週間の動きは、先ず火・水・木曜日にエルドレット市役所のコンピュータ課で、水道、住宅システムの構築作業を行っている。金曜日になると前所属先の専門学校に戻る。カイモシという名前の小さな学園都市であるが、そこではルイヤ族の子供達が生活し学んで

いる。ここでの挨拶は「ムレンベ」(ご気嫌いかがですか?)である。カイモシには宿泊場所がないため夕方になると雨を避け、赤道を越えてキスム市に行く。その街はビクトリア湖に面したケニア第三の都市でありルオー族の本拠地でもある。街では「オサオレ」(こんにちはご気嫌いかがですか?)「ベラエーニャ」(調子いいですョ)といった挨拶が飛び交っている。

キスム市は標高が低いため日中はかなり暑く感じるが、夕方スコールの後はとても気持ちが良い。そして週末をキスムで過ごした後、月曜日の早朝に再びカイモシに行き生徒やワーカーが所有している電気製品の保守、修理を行い、またその日の夕方にはエルドレット市へ戻ってくる。金曜日、月曜日にわずか130Km移動すると部族を一つ飛び越えてしまうことになる。

 ケニア人は共通に英語、スワヒリ語を話すことができる。しかし部族間で100%意志を伝えることは難しいと老人達はいう。最近では部族語がますます使われなくなり子供にもスワヒリ語だけを教える親が増えてきたという。部族によって違うのは言語だけではない。

昔は生活様式が異なったこともあり顔つき、体型も微妙に違うらしい。私はそれら以外に、部族によって考え方、人に対する接し方が違っているように感じる。「ルイヤ族は人なつっこく、すぐに仲良くなれる。カレンジン族は大人しく、穏やかである。

比較的日本人の感覚に近いルオー族、人情があり仲間意識が強いetc」私が個人的に見た部族像である。決して一概にそうであるとはいえないがその様なことを考えながらエルドレット市とキスム市の間を移動すると興味深い。たびたび行き来する道端の動きや人の行動や生活振りにも注意深くならずにはいられない。

 今もケニアでは部族抗争が後を断たない。実際に今挙げた三つの部族の間でもそういった悲しい昔話があり、新聞では毎月のように部族抗争による犠牲者が報道されている。

「私は○○族だから××町には行きたくない」などと日本では考えられないようなことをいう大人がまだまだ大半を占めている。

私は次の世代の子供達に、「このような閉鎖的なまた差別的な考え方を捨てて、快活で建設的なしかも各部族の良い文化、すばらしい伝統、風習を尊重できる考え方をケニア全体に根付かせ受け継いで行ってほしい」と思う。そのためにも少しでも、一日も早くケニアの部族抗争がなくなる日を心から願わずにはいられない。