帰国隊員報告          「りる」第14号より

                                                  ケニア     J.Y.
                                                             平成6年度2次隊
                                     理数科教師
                                                              

   私は、平成6年12月から平成8年12月の2年間、アフリカのケニアで、理数科の教師をしていました。

 ケニアは、東アフリカ、赤道直下にあります。私のいたところは、首都ナイロビから西へ約500キロ、ウガンダ国境までわずか30キロというところでした。

 ケニアと一言でいっても、都市部と地方とでは、かなり環境や暮らしぶりなどが違います。都市はここ、高松に劣らないほどの規模がある一方、地方では、水道や電気がないという所が多くあります。また、たくさんの民族がいるので、民族によっても当然、習慣などが違ってきます。

 私は、ケニアの中でも、貧しい地方といえる村のセカンダリースクールで数学と化学を教えていました。

 協力隊員は、職場の同僚と同じ生活水準で生活をし、同じ立場で働きます。ですから、同じ協力隊員であっても、配属先の違いから、生活水準も違ってくるわけです。私の場合は、貧しい村でしたから、水道も電気もない教員住宅に住み、一教師として働いていました。

 ケニア国内には、その地域の人たちの寄付によって建てられた学校が幾つもあります。私の学校もその中の1つであり、「教室と校庭がある」というだけのものでした。教室といっても、屋根と壁はあるものの、天井や窓ガラスはなく、黒板は壁にペンキを塗っただけのものです。

 ケニアの学校は、学費が有料なので、学費が十分集まらない限り、学校の設備は充実していきません。少し寄付を集めて、少し建て、という繰り返しで、教室を一つ建てるだけでも、何年かかかります。こんな学校に赴任して、私が教師としてできること、すべきことをするのはもちろん、先進国を母国とする者として、支援物資を日本に要請することも可能です。しかし、私は、ペースは遅くても、現地の人たちでできることには、できる限り手を貸すべきではないと考えます。

 水道や電気も当然のようにない生活は、日本人にとって、想像しがたいと思います。水道のない代わりに、雨水または湖の水を使い、電気やガスの代わりに、木炭やケロシンを使うという、決して便利とは言えない生活でしたけれど、そこで住んでいる人たちにとっては、それが当たり前のことなので、それを苦労だとは思わず生活しています。そこのケニアの人たちは、とても便利な生活をしている日本人よりも、陽気で平和のようにも見えました。

 けれど、そこで一緒に暮らしていると、深刻な問題も見えてきます。私がいた地域はきわめて雨量が少なかったのですが、湖が近くにありました。現地の人々は、5〜6キロは平気で、頭に水を乗せて運びます。私は、頭の上に乗せて運ぶことは不可能なので、お金を払って、ロバに運んでもらっていました。20リットルが約10円です。20リットルは大きなたらいに2杯分くらいです。

 水道がなくても、常に湖に水があるから良いといえば、そうかもしれません。けれど、湖には、住血吸虫が棲息しているうえ、汚染もすすんでいます。湖で家畜が水浴びをし、人々が洗濯をするのです。その水を現地の人は直接飲みます。

 薪や木炭は貴重なので、飲み水をわざわざ煮沸消毒している余裕はありません。多くの子供達は、お腹に虫がいて、常に下痢気味です。でも、いくら外から来た私が、衛生的知識を教えたところで、実行できる状況ではありません。

 こんな話をすると、ケニアの地方の人々が、とても不幸であるように受けとめられるかもしれませんが、こんな環境の中で暮らしているからこそなのでしょうか、将来のことを心配するよりも、今日をいかに楽しく過ごすかに、そこでの人々は、一生懸命のようでした。そんな生活の中で、そんな生活をしている住民の一人として、その地域に一番必要なのは、教育や娯楽などよりも、まず健康に暮らすことだと気づきました。

 そんな人々の生活向上のために、私は何をすべきなのか。何ができるのか。ここで私は、生きていく上で、一番大切なのは水であると実感していました。もし、きれいな水がいつも確保できれば、それだけで下痢を減らすことができ、病気も少なくなります。そうなれば、現地の人々も水の重大さに気づき、衛生面の向上も期待できます。また、水くみの時間節約により、時間に少しでも余裕を持てるようになり、生活向上も期待できます。さらに、少しでも農作物を増やして、現金収入を増やす可能性も広がってきます。

ここでは、一番確実にきれいな水を得るには、井戸の水が適当です。ウォータータンクは雨が降らないと役に立ちません。水道管は夢のような話ですし、水道代、維持費を賄(まかな)えません。井戸を作るには、深さにもよりますが、約40万円必要です。年間約一万円の学費すら満足に払えない住民が、どんなに寄付を集めても、簡単に手の届く額ではありません。以前、井戸を作ろうという話がでたことはあるようなのですが、中心となって話を進めていた、その地域の権力者が亡くなり、白紙に戻ったと聞きました。一つの井戸が、小さなきっかけとなることを願い、井戸設置のために私のできることをしようと決心しました。

 隊員が申請できる支援物資は限られています。建築物はいっさい不可とされています。そこで、協力隊を育てる会が実施している「小さなハートプロジェクト」に協力を要請することを思いっきました。これは、現地の隊員からの業務外の活動支援を国内の民間団体や市民グループなどにつなげて、支援していくものです。一般市民の途上国への理解を深めることもねらいの一つです。

 私の要請を受けた、愛媛県協力隊を育てる会は、愛媛新聞社を通じ、県民に協力を呼びかけてくださいました。県民からの反響はかなり大きく、100万円を越える額が集まりました。募金活動をしてくれた中学校や、小銭がかんに一杯になったので、という方など、様々でした。

 私は、日本の人たちが、こんなに関心を持っているとも、協力してくれるとも、正直思っていませんでした。驚きと感謝で一杯です。また、母国、地元からの応援は、海外でがんばっている者にとって、大きな励みになるということも知りました。

 さあ、愛媛県からの愛情こもった寄付金を受け取り、工事スタートです。要請前に、事前調査は行われており、学校敷地内に井戸水がでる見込みはないが、100メートル下った谷間に可能性があるという結果がでていました。また、地主とも交渉し、公共の井戸を設置するために、無期限無料でそこを使用してよいと契約を結んでいました。管理維持のため住民はわずかながら使用料を払い、学校が責任を持つとも決まりました。

 文章にしてしまうと、何でもないようですが、これだけのことで、実は、5ヶ月もかかっていました。井戸会社を決めるときも、ケニア人はもちろんのこと、他の隊員にも情報を集めてもらうなど、多くの人に協力していただきました。

 11月頭にお金を受け取り、中旬に開始できたので、2月中には完成予定でした。しかし、何事も予定通り進まないのがケニアの常。井戸は手掘作業です。手掘作業をしている人が、はじめはまじめに働いているのですが、仕事のペースが落ちたなと思ったら、食費がないなどと、お金をせびりに来たりし、挙げ句の果てには姿をくらましてしまうこともありました。工事道具が壊れたり、なくなったりしてもすぐ対処できないようでした。そんなことがある度に、工事が中断していました。

 私がケニアを離れる12月までに、井戸水を確認できることを期待していましたが、かないませんでした。後任の隊員と綿密な引継を終え、私はケニアを後にしたのでした。先日、ケニアから手紙が来ました。2月18日に、無事井戸水がでた、と書かれていました。ほっとするとともに、飛び上がって喜んでいました。でも、これから、です。

 完成予定は、4月末になりそうだということですが、水がでて、住民の期待、関心も一層強まっていると書かれてありました。これが、小さなきっかけとなって、地球に笑顔が増えることを期待して、私の活動報告を終わりにしたいと思います。