東照公ご遺訓          「りる」第6号より

     リベリア         O.N.

                     昭和58年3次隊

                     下水処理機械

 

「人の一生は重き荷を負うて、遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」の書き出しではじまる徳川家康の遺訓をご存じでしょうか。家康は、「不自由を常と思えば不足なし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、」と続けています。

 結婚したい相手にプロポーズしたら、「あなたの重荷になりたくない。」という返事が返ってきました。

 こんなときの「重荷」とはいったい何を指すのかはさておき、いくら自分が好きになった相手でも、この世に二人だけで生きているわけではありません。周囲の反対を押し切って結婚したものの、周りの風当たりはきつく、自分ではどうしようもない。「やっぱりまちがっていたかな。」あなたは、そう思うかも知れません。でも、結婚する前は、「そんなことはわかっているんだし、二人でなんとかしよう。」そんなふうに考えると思いませんか。 ひと昔前ならば、石にしがみついても我慢するしかなかったでしょう。でも今は、「バツイチ」というのがトレンディなどと言われるこのごろ。さっさと別れたほうが、いいのかもしれません。

 先日、青年海外協力隊の批判記事を読みました。中南米に派遣された隊員が、任期を短縮して帰国した後、現地での配属先や隊員の状況などを批判的に記したものです。貧しい人達の力になりたい、自分の力を試したい、などの動機で毎年千人近い若者が参加する青年海外協力隊。しかし、任国では、日本と同じように仕事ができるはずはありません。まして、生活習慣、考え方がまったく異なる人たちの中に入って、一緒に仕事をするのです。自分の尺度では理不尽でも、相手にしてみれば当たり前のことだったりすることもしばしばです。

病院に配属されても、薬がない。医療器具と呼べるものはほとんどない。医師さえいないこともあります。そうしたないないづくしの中で、自分にできることを見つけて活動するのが協力隊員だと私は思います。派遣前の訓練で、隊員は任国に着く前から目分の背負う重荷はどういうものか、ある程度わかっているはずです。しかし残念なことに、この隊員の書いた記事は、徹頭徹尾協力隊の批判でした。自分なりに考え抜いた結論が、「任期半ばにして帰国する。」という別れの道であったことが残念でなりません。

 私も、隊員時代には問題山積の職場におりました。それでも楽しい思い出と、多くの友を得ることができました。職場の同僚と写したこの写真の笑顔は、私の最高のもののように思います。配属先や、現地事務所のいいところを見つけられず、任期短縮を選んだ前出の隊員が、任国に笑顔を残して帰れなかったことが残念でなりません。わが身を振り返れば、それほど真剣に現地での活動を考えていなかったから、こんな笑顔が残せたのかもしれません。

 徳川家康は、遺訓の最後をこう締めくくっています。「勝事ばかり知りて、負くる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」私の隊員活動は、この言葉で救われたようです。

  近所の女子

 

  職場の同僚と