ポーランドの半年         「りる」第6号より

     マレーシア         Y.K.

                     平成2年1次隊

                     日本語教師

 

 一九九三年の二月から八月、短期緊急派遣隊員としてワルシャワ大学日本学科や地方都市の高校、市民講座を中心に活動しながら、ポーランドの日本語教育事情と生活面全般についての調査をしてきた。青年海外協力隊の東欧派遣は一九九二年のハンガリーに始まり、翌年にはポーランド、ブルガリアヘの正式派遣が始まったが、私たち短緊隊員はそれに先立つ事前調査のために派遣されたのである。派遣職種は日本語教師、柔道、合気道だった。ここでは、あっと言う間に過ぎて行ったポーランドでの半年間の体験をお伝えしたい。

その一
不思講の国ポーランド

 ポーランドでは日本の文化、特に武道への関心が高く、地方の小さな田舎町へ行っても柔道や合気道の道場がある。片田舎の道場で熱心に合気道や柔道に取り組んでいるポーランド人の姿を見たときは、どこか不思議な世界に迷い込んだような気がした。人工比にすると日本よりも愛好家の数は多いようである。レベルも高く、柔道ではオリンピックのメダリストが何人も出ている。(柔道隊員は大変である。)日本語学習者のなかには、武道などの日本文化への関心から、日本語を学ぶようになった人がかなりいる。

その二
ワルシャワ大学日本学科

 主な活動の場となったワルシャワ大学は、一八一六年に創立されたポーランドでは二番目に古い大学で、日本学科は一九一九年の創立以来七〇年以上の歴史を誇っている。ポーランドには日本学科のある大学が三つあるが、ワルシャワ大学以外の日本学科は、一九八九年の改革後にできたばかりである。この他、選択の第二外国語として日本語を教えている大学も増えつつある。しかし、卒業生の受け皿となると、ポーランド国内には日本企業も少なく、日本語の能力が重宝される場はあまりない。日本語ができるとそれが直接就職や昇進に結び付く東・東南アジアとは対照的である。学生たちに志望動機、目的を聞くと、日本や東洋の文化への関心、人とは違ったことをしたいというポーランド人の個人主義的な考え方などがうかがえた。
 ワルシャワ大学では主に会話のクラスを受け持ち、その他、週に一回ウッジという地方都市へ出張し、高校や市民講座の授業も担当した。それらの学生たちからの日本語の手紙は、帰国後、過ぎ去った時間以上に遥かなものになりつつあるポーランドの記憶を蘇らせてくれている。

  ポーラーンド・ウッジ高校でのK隊員の授業風景

 

  ワルシャワ大学の学生たちとK隊員

 

 

その三
北海道のような国

 ポーランドの四季は、長い冬、美しい春、短い夏、黄金の秋で、北海道とよく似ている。私は現在札幌に住んでいるが、四季の移り変わりや自然環境などで、ポーランドを思い出させることが多くて驚いている。冬はポーランドも札幌も一度ずつしか体験していないが、その限られた体験から二つの地域の冬を比較してみると、寒さはたいして変わらないが、雪が少ない点ではポーランドの方が過ごしやすく、日照時間の点では札幌の方が過ごしやすいといえる。ポーランドでは冬至の頃は三時頃日が暮れるそうだ。(ちなみに札幌は四時頃)日中も日差しは弱々しく、「おまえはマレーシアと同じあの太陽か!」と叱りつけたくなる。しかし夏になると十時頃まで明るく、遅くまで人の行き来が絶えない。


その四
だんごより花

 前任地が食文化の豊かなマレーシアだっただけに、ポーランド人の食生活が質素なことには驚いた。(非常につつましいと言うべきか。)「食」にはあまり関心がないようにさえ思われた。花は非常に愛し、生野菜が手に入らない真冬でも、花屋にはみずみずしい花が溢れている。花屋の数は香川のうどん屋、札幌のラーメン屋に匹敵する程多く、高校生や大学生ぐらいの青年や、小さな男の子までもが自然に花を持って歩いている姿は私の目にとても新鮮に映った。

 

  真冬でも街角の花屋さんはなくならない



その五対日感情

 地理的に遠く、日本と直接関わった歴史もないので、特に反日感情のようなものはない。逆に、−「ポーランド人の嫌いなロシアをやっつけた国」として好日感情を持っている人はいるようだ。いずれにしても、エキゾチックな東洋の国という印象が一番強いように思われた。

 改革後のポーランドは経済的にも社会的にも急速な変化に見舞われ、私が赴任したころも、まだインフレがおさまっていなかった。実際、人々は様々な自衛手段をとり生活を守ってはいたが、同時に、高い物価上昇率など別の世界のことのようなのんびりした面もあり、ほっとさせられた。今後も、ポーランドの社会は変化し続けていくだろうが、あまりに西欧化されてポーランドのよさを見失ってしまわないことを願いつつ、遠くからポーランドの行く末を見守っていたい。