現地隊員レポート             「りる」第66号より 

                                                    ミクロネシア     大西 結加
                                                             平成26年度1次隊
                                         小学校教育
    

『ポンペイで生きる日本人』

 ミクロネシア連邦の在留邦人数は、2014年十月現在、130名。その大半が、私の任地、ポンペイ州コロニア周辺に住んでいらっしゃるため、町で日本人に会わない日がないくらいです。私は、ポンペイで生まれ育った人々だけでなく、ここで生きる日本人からも、多くのことを学んでいます。その中でも、今回は二名の方について紹介します。

 一人目は、コロニアでカレーレストランを営む「セイさん」こと、植本盛さんです。セイさんは、1930年、九男三女の六男としてポンペイで生まれました。お父さんは、「南洋貿易」の支店長としてポンペイに滞在していた日本人です。お母さんはポンペイの人ですが、イギリス人を祖父に、ドイツ人を父にもちます。セイさん十五歳の時、敗戦にともなって家族で日本へ引き揚げました。

 日本で働き、結婚されたセイさんですが、1983年、奥さんと一緒にポンペイへ戻ってきました。先にポンペイへ戻った、一番上の兄を慕ってのことでした。最初のビジネス、アイスキャンディー屋が成功し、次に農園「セイ・ボタニカルガーデン」をつくりました。今では、ここの特産品の胡椒「ポンペイペッパー」が有名になり、海外からも注文があります。私も食べたことがありますが、強い香りが食欲をそそる絶品です。さらに、ビュッフェスタイルのレストラン「セイ・レストラン」、そして「セイ・カレー」をつくり、どちらも人気店となっています。

 セイさんに、今の心境や、ポンペイへの思いについて尋ねると、日本よりポンペイにいる方が、気持ちが楽なのだそうです。日本にいた当時は、外国人の先祖をもつセイさん兄弟に対する、差別を感じたこともあったそうです。しかしポンペイでは、「みんなが自分のことを知っているが、だれも干渉しない。ありのままの自分でいられる。」また、「ポンペイにはモノはないが、自然に採れるものが素晴らしい。ポンペイペッパーは上質だし、ココナッツオイルはせっけんや油、何にでもなる。」と語ってくださいました。今後はさらにポンペイペッパーの生産、販売に力を入れていくそうです。

 実はセイさんは、2013年にミクロネシア国籍を取得されました。七年前に奥さんを亡くされてから一人暮らしのセイさんですが、彼を慕う従業員や友人たち、日本からの訪問者に囲まれて、いきいきとお仕事をされています。戦争に翻弄され、二つの祖国間で揺れ動きながらも、自分の力で人生を切り拓いてこられたセイさん。彼の意志の強さと行動力、そして人を惹きつける素敵な笑顔を、私は尊敬しています。

 二人目は、ミクロネシア短期大学(COM)二年生の、「みきちゃん」こと、フリッツ海輝さんです。みきちゃんは、1995年、東京生まれ。お父さんは、駐日ミクロネシア連邦大使のジョン・フリッツ氏で、ミクロネシアのチューク州出身です。みきちゃんは高校卒業まで、お父さん、日本人のお母さん、三人の兄弟と一緒に、東京で暮らしていました。

 私立校で学んだみきちゃんは、そのままエスカレーター式に大学へ進学できるはずでした。しかしそれではつまらないと感じていた時、お父さんがCOMを紹介してくれたのです。みきちゃんは幼い頃から、「名前の半分がミクロネシアのものなのに、英語も話せないし、その国のことも知らない」ことがコンプレックスでした。そこで、「私の半分を取り戻したい」という思いから、COMへの留学を決意したのです。ポンペイに住む親せきと暮らしながら、COMでは「ミクロネシア研究学」を専攻し、これまで順調に単位を取得、五月に卒業予定です。

 みきちゃんは学業以外の活動にも精力的に取り組んでいます。日本に興味のある学生とともに「マイクロジャパンクラブ」を立ち上げ、部長として、日本の学生の研修受け入れや、大使館主催のイベントの手伝いなどを行っています。これらの活動は、ミクロネシアと日本をつなぐ架け橋といえるでしょう。また、チューク出身の学生と一緒に、地元の伝統的なダンスをイベントで披露したり、サッカー部で男の子に交じってプレーしたりしています。さらに、休日は家の手伝いをして、ミクロネシアの家族との時間も大切にしています。

 みきちゃんは、ここに来て、お父さんの偉大さに改めて気付いたといいます。「父は挑戦し続けてきた人。ミクロネシアで生まれ育ちながら、日本人の感覚も持ち合わせているのはすごい。」と。また、日本の経済的な豊かさを再認識した半面、ミクロネシアの人々の心の豊かさを知ったそうです。「経済が発展途上だからこそ、『昔の日本』のようなあたたかい人間関係がある。それに、当たり前のように、小さな子どもが家事を手伝うのを見て、日本で甘えていた自分が恥ずかしくなった。」と語ってくれました。自分のルーツの国を両方知ったみきちゃんは、今、「もっと勉強して、将来は父のように、この国の助けになりたい。」という夢に目を輝かせています。

 私は、十代の女の子が国レベルで物事を考え、行動しようとしていることに感銘を受けました。そして何より、日本の家族への感謝や愛情をきちんと表現する、彼女の素直さが大好きです。

 さて、在留日本人やマイクロジャパンクラブが一丸となって取り組んだ、大使館主催の「ジャパンフェスティバル」について少しだけ報告します。十月十七日に行われたこのイベントでは、ステージ発表と各ブースでの文化体験を通して、ポンペイの人々とふれあいながら日本文化を紹介しました。私は配属先の小学校の子どもたちと、「南中ソーラン」・鍵盤ハーモニカの発表に参加。子どもたちは練習の成果を発揮し、大きな拍手を浴びました。達成感に満ちた表情に、私も胸が熱くなりました。浴衣・折り紙・書道・日本の歌謡などの文化体験ブースも、担当者が工夫を凝らしたかいがあって大にぎわい。入場者は700人を超えました。

 ポンペイで存在感を示す日本人たちのパワーに、「エッケク(すごい)!」と感心することしばしばです。


流暢に日本語を話す、店長のピーターさん

ポンペイペッパーをかかえるセイさん

日本祭、折り紙のしゅりけんが大人気

みきちゃん(写真右)、チュークダンスの衣装で