モロッコ一年目の活動報告     「りる」第3号より

     モロッコ       K.M.

                     平成3年3次隊

                     工作機械

 

 モロッコ、アフリカ大陸の西北端に位置し、ジブラルタル海峡を挾み、対岸にスペインを臨むこの国は、その位置的関係から過去多くの民族が出入りを繰り返してきた。そのためモロッコは、人種のるつぼでもある。

基本的には、数千年前からの先住民であるベルベル人と、入植者アラビア人だが、その中でも、アフリカ系ニグロからヨーロッパ系白人までさまざまな人種に分かれている。

しかしここでは、アメリカのような人種差別はほとんど見られない。これは長い月日とモロッコ人の外向的性格によるものかもしれない。

 気候は内陸部は砂漠気候、海岸部は地中海性気候、私の赴任地であるアガディールは地中海性気候。香川県と似た気候で、大西洋を臨むしゃれたリゾート地であり、またオリーブ、オレンジの産地でもある。

協力隊というとどうしてもブラックアフリカ、赤道直下の島じまで汗を流して活動するところをイメージしがちであるが、意外と多くの隊員は恵まれた気候のなかで文化的な活動を行っている。その中でも私の赴任地は気候的にもっとも恵まれたところであろう。

 職場は街のはずれにある職業訓練学校。正式名称をアガディール技術者養成学院といい、日本でいう工業短大のようなところ。昨年7月に赴任、長い夏休みの後、10月より本格的に授業を始めてはや8ヵ月が過ぎ去ろうとしている。

来月には期末試験が始まり年度を締めくくることになる。しかし今振り返ってみると私はお世辞にもよいプロッフェッサーであったとはいえない。貧困な知識と、未熟なフランス語で何度も学生達を煙に巻いてきた。これに対し学生達は意外に優秀で、工作機械の操作方法にも精通していた。

訊ねてみるとほとんどの学生は工業高校、職業訓練学校で3年〜5年の経験を持っているという。(ただし、日本以上の詰め込み教育のためか、応用力がなく、目先を変えた問題を出すと途端に理解力が落ちてしまう。)年齢的にも(平均年齢24歳、最年長26歳)技術的にもほとんど差のない状態で、赴任当初は何を教えたらよいのだろうと悩んだものである。

 

 そして出した自分なりの結論が、機械を使う機会はなるべく多く自由に使わせるとともに、メンテナンスの意識をもたせること。平たく言えば、掃除、後かたづけをしっかり行なわせ、道具を大事に使わせるという至極簡単なこと。

というのはモロッコ人の公共道徳は日本人と比較すると極めて悪い。たとえば、私が何も言わないでいると、彼らが使った後の工場は機械は切り屑まみれで放置され、さまざまな道具が作業台の上に投げ出されているような具合。

この対策として試行錯誤を繰り返した末、結局一番効果があったのは学生が片づけを終え、私が工具の点検を終えるまで学生を工場から出させないという力技であった。

といはいえ、学生達にはスキをつかれ逃げられ、情けない思いをしながら一人片づけをしたものであるが、最近になって少しは意識が浸透したのか、当初に比べると工場も整理されてきたと自分では思っている。

 また、もう一つの仕事に機械の修理がある。私の職場の設備は日本の工業高校、工業高専のそれと比較しても遜色ないほど数的、種類的にも恵まれている。

しかし、赴任当初、機械の約半分は動かない状態であった。私自身、機械を操作した経験はあるが修理ははじめてである。学生達にも助けてもらいながらとりかかったところ、現在、8割くらいの機械は稼動できる状態にある。

そして原因のほとんどがヒューズ切れとか、モーターの配線まちがいなど、初歩的なもの。中にはそのために丸3年使われていなかった機械があったのには驚いた。しかしこれは決してモロッコ人の修理の能力がないわけではない。

卑近な例であるが、私はこのあたりにモロッコがかかえている問題があるように思う。つまり組織が弾力を失っているということ。力はあるのに自分のテリトリー以外の仕事は上からの命令がない限りしない。

例え、それによってどんな損害があってもそれは上司の責任で済ませてしまうような無関心さ。これは見方によっては能力がないより深刻な問題ではないかと私は思う。

 最後に、足が地につかないままガムシャラに何かをやっているうちに一年が過ぎてしまった。今までやったこと、これからやるであろうことが、この国のためになるとはとても断言できない。

それほど1人の2年間など短く、頼りないものである。ときどきそれを考えると無力感に襲われるが、今はあまり深く考えないことで、残された1年のモロッコという異文化の中の生活を楽しみたいと思っている。