現地隊員レポート             「りる」第80号より 

                                                    モンゴル   綾 里奈
                                                             平成31年度1次隊
                                         体育
   

 半年間の活動を振り返って一時帰国から一か月が経ち、ついこの間まで当たり前のようにあったモンゴルでの生活はまるで夢だったのではないかとさえ感じます。しかし、雄大な大草原やからりと晴れた空、そして何よりお世話になった方々と過ごした思い出が確かに残っており、頭を駆け巡っています。

今回の寄稿では、私の経験から一部分を切り取って2つのエピソードを挙げたので、皆様のイメージするモンゴルと同じ?違う?と気軽に考えながら読んでいただければ幸いです。

1.任地について

 私は、首都のウランバートルから車で1時間ほどのゾーンモドという田舎町で生活していました。そこでは、天気がいい日はもちろん時に寒さの厳しい冬(マイナス20度以下)であっても、街中に半野生(遊牧民所有)の牛や馬がいる光景が日常です。家から1km程行けば大草原、そんな自然豊かな場所でしたので郊外にある活動先への通勤途中には、遊牧民と共に大移動する羊やヤギの大群が追ってきて慌てるということもありました。

<牛たちの日常>

夕方になると「もぉおおおお」「もぉおおう」とどこからともなく牛たちの声が聞こえてきます。日が落ちそうな夕暮れ時、そろそろ遊牧されている牛たちが帰っていく頃です。遊牧されている牛は、日中食料の草を求めて自由に動き回り街にもやってきます。草原にある牛舎をでて夜はまたそこに帰ってゆきます。まるで人間のような?規則正しい生活です。
 街中を大行進する牛の家族

牛を飼っている遊牧民は牛たちに付き添いませんし、帰りに迎えに来たりもしません。牛は自分たちで判断して夕暮れ時になると家に帰っていくんです。夕方、一頭が鳴くとそれに応えるように別の牛が鳴き、さらに別の牛が鳴き、あれよあれよという間に集まってきた牛たちの大行進で、ゆっくりゆっくり、ゆ〜っくり移動していきます。道路を渡る牛たちがいれば、もちろん渋滞発生です。高らかな鳴き声が響き渡り、街中をゆく姿はここの日常となっています。

 私は、いつもその光景から「そろそろ帰るよぉおおお」という呼びかけに「はぁああああい」「まってぇえええ」と応えるほのぼのした家族の会話を思い起こしました。新緑の5月に入り、ゾーンモドでは春の訪れを喜ぶ牛たちの会話がどこからともなく聞こえてくることと思います。
牛たちのエピソードで4コマ漫画を描いてみました!

2.活動について

私は、ゾーンモドの街はずれにある小・中・高の一貫公立校に拠点を置き、体育の授業づくりやバレーボールサークルのサポート、日本語教室の運営をしていました。体育では、活動のアイデアや指導法について同僚へ知識を共有したり実際に授業を行って授業案を提案したりすることメインに活動しており、体つくり運動やドツジボール、玉入れの紹介を行いました。

<玉入れ>

「全校生徒が参加するスポーツ大会を計画しているのだけれど、何かおもしろい競技はない?」

 あるとき、体育教師の同僚から学校のイベントで行う競技のアイデアを求められたことがありました。秋のスポーツ大会=運動会のようなものかな?と思い、日本でお馴染みの"玉入れ"を提案したところ「マッシゴイ(それいいね〜!)」と、即決で早速準備に取り掛かることになりました。いいと思ったら即行動のモンゴル人、その瞬発性にはいつも驚かされます。玉は新聞紙を使って子どもたちとも一緒に作成しました。
 バスケが大好きな子どもたち 玉入れにも熱中しています(体育の様子・中一)

 「ボールがとにかくたくさんいるのよね?」とやけに慌てて作業を進める同僚。確かに競技種目を決めたこの日は、大会4日前であまり時間はありません(これでも日本の運動会では考えられないスピード感です)。でも、やけに慌てて作業をしていたのでなぜ?と疑問に思っていました。その答えは、同日の夕方に分かりました。

玉入れを初めて知りえらく気に入った同僚は、子どもたちの大会ではなくこの日行われる職員のスポーツ大会で玉入れをやりたい!!と思い立ち、準備を急いでいたのでした。日本の運動会では今やおなじみのかわいいダンシング玉入れですが、おなじ種目とは思えないほど大人の超白熱競技へ生まれ変わり、熱い戦いが繰り広げられました。
 ドッジボールってなあに?(体育の様子・小3)

数日後、メインであるはずの子どものスポーツ大会本番では、会場への玉の運搬が忘れられて実施できないというまさかのオチもありましたが、その後の授業の中では新しいスポーツのアイデアとして提供することができました。バレーやバスケなどの球技が大好きなモンゴル人の国民性に玉入れは大ヒットしたようで、子どもだけでなく大人も夢中になって取り組んでくれました。

用具や場所が限られている環境ではありますが、少し工夫することで楽しめる活動がまだまだたくさんあることを知ってほしいと思って活動に取り組みました。

3.活動を振り返って今思うこと

 モンゴルでの協力隊活動で、私はあらゆる場面において圧倒的にマイノリティーであることを感じました。日本人とよく似た容姿をもち、親日国であり、まるで遠い親戚関係のようにも思えるモンゴルではありますが、任地での活動は刺激的な楽しさの一方で厳しいこともありました。特に言葉の壁が大きく、同僚や子どもたちとの意思疎通は大変で、いつも分からないことや伝えられないことへのもどかしさを感じていました。
 日本語教室・・・日本語を一から学んでいます。希望者を募ると、30名を超える子どもたちが参加してくれました

自分一人だけできない、知らない、分からないと感じる状況は初めてに近いような経験で、生活や活動すべてが自分の力ではままならず、常に任地の方々から教わり助けていただきました。おおよそ3ケ月の活動準備期間を経て計画を練り「よし、これから1」というときに新型コロナウイルスの影響を受けて活動休止となってしまいましたので、愛情いっぱいにいただいた恩に時問をかけて活動でお返しできなかったことがとても心残りです。

そして今回は急遽帰国が決まったため、お世話になった方々に挨拶もできないままの帰国となりました。当たり前のように任期いっぱい任地で活動できると思っていたので悔しい気持ちはもちろんありますが、夢であった協力隊に挑戦できたことは私にとって財産です。もし仮に再赴任が叶わなかったとしても、任地で得た出会いや思い出は消えることはありません。

モンゴルと繋がったこのご縁を一生大切にしながら、任地での学びを日本の子どもたちにも還元していけたらと思います。そして残りの活動期間いっぱい、協力隊としてモンゴルに貢献できること、今後の協力隊に繋げられることを探して取り組んでいきます。最後になりましたが、日頃からご支援いただいている事務局長三村様をはじめ協力隊活動を支えてくださっているすべての皆様に感謝いたします。
 お世話になった先生方と(始業式にて)

今後のことは全くわからない状況ですが、今後とも協力隊への変わりないご支援をどうぞよろしくお願いします。


2020,5,7執筆