モルディブだより      「りる」第21号より

     モルディブ      Y.K.

                     平成10年度1次隊

                     体育

 

1.はじめに

 モルディブに赴任して、もうすぐ1年が経とうとしています。早いものです。私は現在、首都マーレより、北へ飛行機で約1時間、そしてそこからドーニ(ポンポン船)で約1時間半のところにある、クルドゥフシという地方島で活動しています。この島は、モルディブで(マーレを除き)3番目に大きいと言われている島で約8千人の人が生活しています。

クルドゥフシは、他の地方島と比べるとかなり発展しており、大きな病院、郵便局、電話局、数々の商店があり、特に生活に困ることはありません。食事面では、私は自炊しているのですが、肉、野菜が手に入りにくい、という以外、特に困りません。先日、隣人に大きなパパイヤをもらい贅沢に、1人で食べました。大変おいしかったです。日本で買えばいくらくらいするのでしょうか。



2.雨・雨・雨・・・そして快晴の雨期

 最近雨期に入り、朝、夜は涼しくていいのですが、寒くてさすがに水シャワーはつらい。そして島中水びたしで、整備されていない、水はけの悪い道が「川」になっています。決して大げさに表現しているわけではありません。本陸上競技大会の子供たち当に「川」なのです。自転車か車で移動するか、はだしでジャブジャブ歩かないといけません。私には自転車があります。

乾期の時期には、飲料水となる雨水の枯渇が心配でしたが、今はその心配もありません。飲料水はタンクに貯めてある雨水を煮沸したものを利用します。これを書いている今も、スコールのような雨が屋根をたたきつけています。

 

 陸上大会の子供たち



3.恐るべし「蚊」

 連日の雨で「蚊」が増えているせいか、島ではモルディブ唯一の伝染病「デング熱」とそれとは別のウィルス性のカゼ・熱がはやっています。2つの病気とも「蚊」による感染からおこるものです。これを書いている今現在、学校閉鎖中(5連休)です。島の病院には約100人の患者がいるらしく、そのうちのほとんどの人達がこの2つの病気に冒されています。

先日1人の子供が亡くなりました。マーレで活動している隊員のうち2名がつい先日「デング熱」にかかり入院していました。しばらく「デング熱」の存在を忘れていた私も、ちょっと恐れている今日この頃です。

4 ATOLL EDUCATION CENTER(A.E.C)

 私の活動はクルドゥフシのATOLL EDUCATION CENTER(A.E.C)という、日本の小学校と中学校が1つになっているような学校で教師と生徒に体育の指導をしています。AECには約2000人の生徒がいます。島の住民の1/4がAECの生徒なのです。彼等の中には、クルドゥフシのまわりの学校のない小さな島から、住み込みで来ている子供達もたくさんいます。教師も同様です。教師の中にはたくさんの外国人(インド・スリランカ・パキスタン・ネパール)もいます。

5.体育の授業

 どの授業も1コマたったの35分。日本のように1コマ、1コマの間に休み時間がないため、体育の授業は35分の内にグランドヘの移動時間も含まれ、実質25分。日本の授業時間の約半分しかありません。そして、体操服などなく制服のままでの授業。制服が汚れると過保護な親達が学校に文句を言いに来てしまいます。

また、体育館のようなものはなく、日中容赦のない日ざしの下での授業。生徒は「暑い、暑い。」「頭が痛い。」「制服が汚れる。」等、高学年になるほど文句が多くなります。確かに、日陰の全くないグランドでは日中暑すぎ、生徒もかわいそうだなとは思います。しかし、1日何時問も外で授業している私のほうは毎日暑さで倒れそうになります。

夏好き、太陽好きな私なのですが、モルディブの日ざしには勝てないようです。私の本来の仕事は、生徒ではなく、教師に体育を教える、カウンターパートを養成することなのですが、AECはマンモス校なので教師が足りず、私自身も10クラス、週20コマ指導していますし、他の教師の体育の授業(約30クラス)もみています。(すべてのクラスではありませんが。)教師を指導していると自分が大学生だった頃の教育実習を思い出します。

学校は午前の部、午後の部に分れており、教師も2つの部に分かれています。私は一応午後の部(6年生)です。午前6:45〜午後12:20。とにかく朝が早い。そして午後のクラス(午後1:00〜午後5:20)の体育の授業も教師を指導しながらみなければならず、結局夕方まで活動しています。1日終わるとくたくたになります。

6.陸上競技大会
(99年6月4日・5日)

 私がこの島に赴任して初めてのスポーツ大会が行われました。陸上競技大会でした。大会担当は私ではなく、ある教師で、私は補佐でした。のんびりしている南国、モルディブなので、準備しはじめたのは前日の夕方からがやっと。まずはグランド作りから。グランドは比較的色の白い砂を運んできて、石灰のかわりに使い、ラインひき、コース作り、そして幅跳び用の砂場作り。

次に選手(生徒)用のヤシの葉を使ったテント作り。子供達が協力して準備をし、なんとか当日をむかえました。普段は休日の2日間(金・土曜日)に行われ、天気もよく順調に始まりました。私の当日の担当はフィールド競技のはずが、「由里子、由里子!」とそこらじゅうから助けを求める声が・・・。結局私はトラック競技のほとんどにも携わり、あっちこっちに2日間走りまわっていました。

「私は一人しかいないんだー!」と叫びたくなりました。暑い中私の疲れもピークに達していましたが、すべてが無事に終わった時、「やったぞ!」という満足感と子供達の笑顔で疲れも吹っ飛ぶくらいうれしかったです。欲を言えば、振り替え休日がほしかったということと、この国の人達がお酒を飲める人達なら(イスラム教国は飲め
ません。)ビール片手に打ち上げをしたかったということでしょう。そして次の日(日曜日)には、ホッとする間もなく早朝からまた日ざしの下での授業が始まりました。

 

走り高跳びの選手たち、筆者(右)

 

7.学校閉鎖

 前述にある通り、そんななかでの5連休なので喜ぶべきことではありませんが、本音を言えば、「神様、私に休暇をくれてありがとう。」という気持ちです。

8.最後に
 クルドゥフシにはあと半年、来年にはまた違う島の学校へ行く予定です。次回の報告を楽しみにしておいて下さい。