任国外あちらこちら       「りる」第21号より

     モルディブ            Y.S.

                     平成9年度2次隊

                     建築施工


1.バングラデッシュ
 ひとが、なにかを、つくろうとする、「意志」は、こんなにもすごいものか、と思った。

 任国外研修旅行で最初に訪れたバングラデッシュは、「人がうごめく」、そんな表現がいやにしっくりときて、リクシャーとよばれる人力自転車に運ばれていても、人々の熱気と強い陽射しにフーフーと息がきれそうな、そんな強烈な印象を私に与える場所だった。

 この国で最初に訪れたのは、首都ダッカにある国会議事堂だった。

 ダッカの中心部に大きく敷地を囲いとり、そのまん中に屹立(きつりつ)するその巨大な建築物は、アメリカの建築家、ルイス・カーンによって設計されたものである。

 バングラデッシュの首都ダッカに建つ国会議事堂

 建築に興味をもちはじめ、あっちこっちに建築を訪ね歩いたり、建築雑誌を貪(むさぼ)るように読んでいた時、彼の作品集に収まるこの建築に出会った。この建築は私に強い印象を与えた。丸や四角あるいは三角といった単純な形態で構成されたこの建築は、大きな青空の下、激しくその存在を主張し、強い陽射しをコンクリート打ち放しの壁面が拡散し、輝いていた。

 6年前インドを旅していた時、この建築をみるために陸路でバングラデッシュに入国しようとした。しかし、ビザが降りずに入国は断念した。いつかは必ず訪れようとおもっていた。

 漆黒の鳥が空を舞っていた。青空の中心で。微(かす)かにはためいて降り立ったその先には、何度も写真でその存在を確かめた、その建築が建っていた。

 巨大だった。写真で想像していたものよりもはるかに。いや、もしかしたら想像どおりだったのかもしれない。しかし、その存在が想像を超えていた。大きさも、形態も、あるいはバングラデッシュの太陽さえも想像どおりなのに、そこにある「意志」が、人が何かを造ろうとする激しい意志が想像出来なかったのだ。

 ここに来る途中で見たホテルの建築現場では、何百人もの人夫が地下を20メートル以上も手掘りで掘っていた。見ているだけで汗が吹き出した。常識など吹っ飛んだ。そんな光景を見た私には、この巨大な建築にかけられた想いはさらに大きなものに感じられた。

 ルイス・カーンは私と同じようにリクシャーにゆられ、遠いアメリカから何度この現場を訪れたのだろう。無数の人夫が黙々と作業する、そんな光景をどんな想いで見つめていたのだろう。よりよいものを目指すため、現場がはじまってからも何度となく変更が繰り返されたときいている。完成を見ずに彼はこの世を去った。

 彼の執念ともいえるその意志は、彼のスタッフ、バングラデッシュ政府、そして無数の現場作業員とのひしめきの中でひとつの存在となった。微かに風が吹いた。ひとの意志はこんなにも激しく、遠く、おおきく飛ばせるのだ。

2.ネパール
病むお腹をかかえてネパールに渡った。ネパールでは8人いる同期隊員全員の任地をまわるのが目的だった。すぐに、ネパール隊員に極西と呼ばれている、最も西に位置する任地のひとつ、ダンガディに向かった。

 飛行機でまず西を目指した。くもりがちだった空を飛び抜け、水平飛行に移り、静かな機内からしばらく眼下に横たわる雲の果てを眺めていると、さっきまで雲だと思っていたのが、はるかその先に見えているのは、まっ白く光り輝く雪をたたえたヒマラヤ山脈の稜線だった。

 こちらは神の意志だ。巨大な山々が荒々しくひしめきあっている。ネパール人は、私達が「山」と呼んでいるものを「丘」と呼び、草木の生えないこのヒマラヤの山々をして、ばじめて「山」と呼ぶそうである。この、迫り来る圧倒的な存在をしてはじめて「山」と呼ばれるのである。彼らにとって「山」は「神」と同義語かもしれない。

 バスに乗り換えて山の中腹をいくと、ところどころ地層が剥(む)き出しになっている。切り立った崖に見える地層は大きく縦に流れている。科学者が語らなくとも山々は大きな地球の胎動によって生まれた事がわかる。

 ダンガディで算数を教えている理数科教師隊員の小学校を訪ねた。狭い教室には肩を寄せあって学ぶ子供たちがいた。照明のない教室では、窓から入る柔らかい光りを黒板と白い壁が受けとめていて、ときおり涼しい風が吹く。そんな、ここちよい空間がひろがっていた。

 子供たちは私の訪問にそわそわしながら、恥ずかしそうに小さな声でつぶやきあっていた。隊員が僕を紹介してくれたので、「ナマステー」と挨拶すると、いっせいに「ナマステー」と元気にさわやかな笑顔で応えてくれた。気持ち良かった。

  紹介されて挨拶するS隊員

 算数はネパール語で教えられていた。子供たちは隊員の言葉の間違いに容赦がない。黒板に書いた文字が聞違っていると、「あー!違う違うー!それ違うー!」とうれしそうに叫ぶ。しかし、隊員はそれに、「えー?そうかー?どこどこ?あーこれな、ごめんごめん。」といった具合にこたえて、むしろうまく子供たちの興味を授業にひきつけている。たいしたものだ。

 外では芝生の上にすわって青空授業がおこなわれている。大きなかわいい声で教科書を読んでいる。うしろには田んぼがひろがり、牛が木につながれている。青年が自転車で走っていく。さわやかな風がふきぬける。

  青空授業

3.民家

 各地の民家は興味深かった。

 バングラデッシュではレンガが多用されていた。地方では壁が泥でつくられ、ヤシの葉で屋根が葺(ふ)かれる。竹も豊富にあった。ネパールではレンガの他に瓦も使われている。山岳地方では壁も屋根も石で積まれ、平野では泥とワラで形づくられ、木の多い場所では木材が多用されている。

 バスや飛行機で移動するたびに家並みも景色も変わっていく。人々はその土地その土地で、それぞれそこで取れる材料で自分達の家を形づくっていく。そんなあたりまえのことがそれぞれの土地の景色をつくっていく。

 あたりまえのことなんだ。そこに石があるから石を積んだ。そこによい木があったから切ってきて組んでみた。ワラを何かに使えないかなと思って屋根を葺いてみた。そういえばモルディヴの地方ではサンゴが民家の壁に使われている。豊富に生えるヤシの木は、材木として、燃料として、家を建てる材料からほうきにいたるまで様々な形へと、根っこから葉の先にいたるまで全て使わないところはないそうである。あたりまえのように、そこにあるもので必要なものはつくられる。

 様々なものは失われ、獲得されて景色は変わっていく。

 巨大な自然に感動する。おおきな声であいさつをする。笑う。叫ぶ。汗を流す。そこにあるものでなんとか工夫をする。あたりまえなことに気づかされる。