国際協力セミナー         「りる」第19号より

     ネパール          Y.T.

                     平成6年2次隊

                     自動車整備

 

 わたしは、平成6年度2次隊ということで、平成6年12月から平成9年12月まで3年間、自動車整備隊員としてネパールに派遣され活動してきました。

[派遣国概要]
 まず、わたしの派遣されていた、ネパールという国がどんな国かからお話しします。ネパールという国は、最近ではよくTVなどでも取り上げられたりしているため割合よく知られた国ですが、北に中国と、南にインドという大国に挟まれ、人口約2千万人、国土面積は日本のO.37倍(約4割)という小さな国です。国の形は東西に長く、南北の長さはわずか200キロ程度です。

ネパールというと、エベレストをはじめとしたヒマラヤ山脈のある国というイメージが強いため、標高が高いとか、雪国であるという印象があるかと思いますが、実際は、気候は亜熱帯でインドと同じ、南側のインド国境沿いでは、標高は100メートル以下で夏は40度をゆうに超える暑さとなり、トラやサイ、ワニなどの野生動物を見ることもできます。また北は「世界の屋根」とも言われるヒマラヤ山脈の8000メートル級の山々で万年雪をかぶっています。

この極端に異なった気候が南北わずか200キロの間にある、自然の魅力に満ちあふれた国です。また、この国に住む人々も20数種から30数種の人種があるといわれ、顔つきや言葉も様々で変化に富んでいます。

 また、ネパールにはお釈迦様の生誕地があることでも有名なため、仏教国のイメージを持つ方も多いようですが仏教徒は少なく、約9害の人々はヒンズー教を信仰しています。しかしながら、ヒンズー教と仏教はその思想に相通ずる部分が多いようで、具体的に言いますと、ヒンズー教の中でブッタ(お釈迦様)は、ヒンズー教の三大神ビシュヌ神の9番目の生まれ変わりとしてヒンズー神話の中でも登場してきます。

よって仏教はヒンズー教の一派と考える人も多く、その為、ヒンズー教徒が仏教のお寺にお参りしますし、逆に仏教徒もヒンズー教のお寺にお参りするといった様子が見受けられます。いずれも人々の信仰は厚く、首都カトマンズの町中でもいたるところに寺院がみられ、人々がお参りする姿を目にします。そんなところから、ネパールは「神々の住む国」などとも言われています。

[カトマンズ]
 さて、私の活動した首都、カトマンズは標高約1300〜1400メートル程度で、夏は暑くても30度になるかならないかで、クーラーなど必要なく扇風機で十分な程度でした。30度といっても空気が乾燥しているため日本ほど暑くはなりませんし、本格的に暑くなる頃には雨季にはいっているため、それほど気温も上がりません。

また、冬も氷点下に下がることはほとんどなく、気温は低くても日差しが強いため、日中は日向に出ていればTシャツ一枚で平気なくらいで、大変過ごしやすい気候でした。また、町には古い建築物も目に付き、過去に隆盛したころの文化レベルの高さも伺えます。最近では物資も豊富になり、割高ではありますが日本食なども手に入ります。また、なにより人々が穏やかで治安に対する不安もあまりありませんでした。

先ほど、割高ではあるが、日本食材も手にはいると言いましたが、ネパールの物価についてもう少し話しておきますと、これが、とにかくやすい!
 コーラ(250cc入りボトル)一本が18円(赴任当時は12円だった)
 キャベツ一玉20円
 輸入物の牛肉1kg300円
 ネパール食で安い店なら食べ放題で40円

しかし、日本食材は高く
 サッポロ一番のみそ・塩ラーメンが一袋200円
 梅干し10粒入り1000円
といったところです。

[公害(牛)]
 しかし、良いことばかりでなく、カトマンズは、高地にある盆地ということで、空気の抜けが悪く、車の排気ガスなどで空気は最悪の状態でした。聞くところによると、現在タイのバンコクなどを抜き、とうとうメキシコシティーに次いで世界ワースト2位だそうです。世界第2位の空気の汚さがどんなものかといいますと、「半日外に出ているとシャンプーをした時に黒い泡が出る」「すぐに鼻毛が伸び、鼻毛を抜く習慣が付く」等々。

 また、汚いのは空気だけでなく、道ばたにはゴミが多い上、野良犬や野良牛が車道をたくさんうろついていたりで、混沌とした雰囲気をもった街です。ちなみに、牛が車道をうろつくというのは、日本では考えられないことですが、牛を神聖な動物とあがめるヒンズー教の国、ネパールでは牛を故意に殺すことは、人間を殺すのと同じレベルで悪いこととされています。

今はそれほどでもないですが、以前は交通事故などで牛を殺してしまったりすると懲役20年程度に科されたという話です。よってネパール人は牛肉は決して食べません、牛肉を食べると言うことは、彼らにとって自分の母親の肉を食べるのと同じ事なのだといわれています。しかし、牛を飼っている農家にとって雄牛や乳を出さなくなった雌牛は餌を食べるだけのいわば、”穀潰し”でしかなく、といって殺すわけには行かず、いきおい、適当にそのあたりに放り出してしまうということになります。そんなわけで、ネパールには沢山の野良牛が車道を堂々と歩いていることになるのです。

[活動]
 私の配属先はネパール警察本部の車両課でした。ネパール隊員のなかで警察に配属されていた隊員は、私の他、空手・柔道・体操競技・コンピューターのシステムエンジニアといたわけですが、全員、配属先の警察で「グル」と呼ばれます。「グル」というのはあのサリン事件などで有名になった宗教団体の教祖がそう呼ばれていた為に、日本でも有名な言葉になってしまいましたが、サンスクリット語で尊師とか師匠といった意味であり、そう呼ばれる者にはある意味、絶対的な立場を与えられます。

挨拶も、ネパールでは一般的に「ナマステ」ちょっと丁寧になると「ナマスカール」最上級は「ジャイネパール」(ネパール万歳)とあり、私たちはその中の最上級である「ジャイネパール」で挨拶をしてもらえる、その様な立場でした。その分、中途半端な言動は許されず、またそのことが赴任当初相当のプレッシャーになっていました。

 また赴任当初はネパール語も、なんとか自分の言いたいことが言える程度で、相手の言っていることが3割も聞き取れていない状態だったうえに、日本人への期待が大きかったため、次から次へと仕事は任されるし、任された仕事をなんとかこなすのが精一杯で、職場の同僚達と事務的なこと以外あまり話す事もできず、業務上の付き合いだけでした。その頃は「えらい所に来てもた!」そんなことばかり考えていました。

そんな中、ストレスがどんどんたまってきた頃に、職場の同僚の家でお祝い事があるということで誘われ、彼の家に遊びに行ってみると他の職員達も多く来ており、みんなちょっとアルコールが入って結構陽気な雰囲気でした。その時初めて気付いたのですが、ネパール人も日本人と同じで、酒を飲むと仕事の愚痴や、上司の悪口で盛り上がり、まるで日本の仕事帰りのサラリーマンのそれと全く同じでした。

その時初めて、自分を含めみんなが腹を割って話し、それ以降、やっとみんなが気安く話しかけてくれるようになりました。呼び方もだんだん「グル」から「グル・ジ」(日本語で言うと、お師匠さん)に変わり、それからは職場でもたわいもない話など雑談をする時間が長くなりネパール語もどんどん上達していきました。そのおかげで言葉が上達し、活動も順調になっていきました。結果、2年の任期のところ、職場からの強い要請もあり任期を1年間延長し、3年間も活動することになりました。

 実際の業務としては、6ヶ月サイクルで整備士養成講習を中心に、空き時間を利用して作業現場に出て技術指導をしたり、配属先である警察車両課全体のマネージメントなどにも携わらせてもらいました。しかし、実際の整備技術などについてはネパールでの自動車整備はあまりにも日本のそれとは懸け離れており、初めて診る故障や、部品一つから自分で作っての修理等、技術指導をしたというより、私が学ぶことの方が多かったように思えます。

[最後]
 青年海外協力隊として3年間ネパールという国で活動しましたが、実際には3年間は長いものですから色々と苦労もありました。

 例えば、職場のボスと喧嘩したり、原因不明の下痢で一ヶ月に16kgも痩せてしまったり、つき合っていた彼女に振られたり・・・?しかし、この間の苦労は辛いと言うよりは苦労を楽しめた、今考えると、そんな気がしています。

私が青年海外協力隊に参加したきっかけはそれほど「ボランティア精神に溢れて」とか、そういった大それた理由ではなく、海外旅行好きがこうじて、何となく成り行きで協力隊に参加したという感じだったのですが、実際に旅行者としてではなく、協力隊として外国で生活・活動をしてみて、世界には色々な国があり、日本での常識は世界の常識ではなく、国によっては全く通用しないことなど、色々なことを学ばせてもらいました。

この協力隊としての3年間は、自分の一生の内で最も印象深い3年間になるだろうと思います。また、この経験を生かすも殺すも、それはこれからの自分次第ですから、この貴重な3年間を生かせるよう、これからの人生もいろんな事にチャレンジし、頑張って行くつもりです。