現地隊員レポート             「りる」第74号より 

                                                     ニカラグア     黒川 奈央
                                                             平成28年度2次隊
                                         助産師
   


「奈央、日本語教えて〜!」
「ドラゴンボールを見ているから、日本語を少し知っているよ〜!」など、中学校に行くと生徒達がよく声をかけてくれます。彼らはアジア人とほとんど会ったことがないので、最初は緊張していることが多いですが、次会うときからは「奈央元気?」と笑顔で挨拶してくれます。

道で会う大人達も同じように挨拶して話すと、次会う時には友達のように接してくれます。ニカラグア人は愛嬌があり冗談が好きで、私のような外国人にも親切にしてくれる人が多いです。派遣前はニカラグア人に対して陽気なイメージを持っていましたが、意外と恥ずかしがりで、日本人に似ていると感じました。

1年中暑い国で、私の周りの人は炭火で焼く焼き肉(主に牛肉、鶏肉)とバナナフライが好物です。フルーツは、南国のフルーツ(スイカ、パイナップル、バナナ、マンゴーなど)がたくさん取れます。ニカラグア産のビール(トーニャと言います)が好きだと言うと、誇らしげにするニカラグア人が可愛いです。観光地も多く、外国人がよく休暇で訪れる国です。

 私はニカラグアの南に位置するリバス市に住んでいました。その町にNGOの医療クリニックがあり、同じ施設内に青少年クラブが併設されていて、私はそのクラブで活動をしていました。中学生を対象に学校も訪問し、同僚と性教育の授業をしていました。

同僚は、いつも子供達の目線や気持ちに立って考えていたので、生徒達からの信頼も厚く、授業は子供達が興味を持てるように分かりやすい表現で説明していたので、私も彼女から学ぶことがたくさんありました。よく生徒達のことを自分の子供みたいだと、誇らしげに話してくれました。私と同僚は、活動中もよく冗談を言い笑いあって過ごしました。彼女に出会えて本当によかったです。

 活動では、多くの子供達と関わることができ、若年妊娠(18歳以下)が多い国での教育の大切さ、親になる責任や、思春期の子供を持つ家族の気持ちを学ぶことができました。

日本では小学生の頃から自分の身体を大切にする意味で性教育を学びますが、ニカラグアではそのような授業はなく、みんな大人になっていきます。性教育は身体の授業だけでなく、思春期の不安定な心の状態に気づいて向き合う機会でもあり、自分の将来の選択に繋がる大切な科目だと思います。

 この国の背景には、男尊女卑の考えと宗教(主にカトリック、プロテスタント)が大きく関係していて、多くの人が、男性は外で仕事、飲酒喫煙ができ、女性は10代で出産し家事と育児をするものだと思っています。

また驚いたことに、ニカラグアは離婚率80%で、中学生の頃に両親が再婚したことが悩みになり、不安を感じている生徒の相談も多く受けました。そのため、両親達と関わる時間を作り、子供達が安心して過ごせる環境や関わりを見つめなおすことも必要でした。

 ここでニカラグア人の友達の1人を紹介します。当時彼は、中学3年生(15歳)でした。彼とは青少年クラブで出会い、好奇心旺盛で明るい生徒でした。活動終了後によく一緒にバスケットボールをしたりしました。彼は幼少期から家庭の事情で両親と離れ、児童保護施設で暮らしていました。

私達の講習会にも参加してくれ、学ぶことが好きな頭の良い生徒でした。私が企画した日本の中学生との手紙交換にも参加してくれ、彼に返事が届いた際は、新しい友達ができて嬉しそうにしていました。その頃から日本への興味が増したようでした。彼は来年卒業するので「中学校を卒業したら何をするの?」と聞くと脂心理士になれる学校に行って、今いる施設の職員になりたいよ。」と教えてくれました。

中学校卒業後は、アイスクリームの移動販売をしながら、学費を自分で稼ぎ、土日に学業を続けていました。両親がいなく不安になることも多くあったと思いますが、周りにその不安を見せず、いつも変わらず関わってくれる彼に強さや逞しさを感じました。

 もう一つこの国で学んだことは、宗教を大切にする国で、男性は男性らしく、女性は女性らしく生きることが一般的な考えなので、そこから外れると周りから偏見を受けやすいことです。生まれた性別によって育つ環境にも違いがあります。

また、中学生の頃にLGBT(同性愛者)であることを家族や友達に打ち明けられず、本当の自分を隠しながら過ごしている生徒も多いことが、学校に相談箱を設置したことで分かりました。学校の授業では、男性でも女性でも関係なく、自分らしく生きていこうと、丁寧に了供達に伝えています。

元々ある習慣はすぐに変えられませんが、悩んでいる生徒に自分だけが他の人と違うのではなく、色んな色があるように、それが自分の個性だと思えるよう伝える活動を続けていくことで、少しでも役立つことがあると嬉しいです。

 授業を分かりやすく、楽しく学べるよう工夫することは簡単ではありませんが、同僚と一緒にアイデアを共有し、授業を考えたり、他の教材を参考に調べたりして活動を進めてきました。彼らが一つずつ学んで新しい知識を身に着けていると感じられるときは、この仕事を楽しく感じます。協力的な彼女と仕事ができ良い経験になりました。

 残りの活動が約3か月になった頃、ニカラグアでは社会保障制度の改正に端を発した市民の抗議行動が起こり、情勢が一気に悪化しました。普段、温和でフレンドリーなニカラグア人が、各地のデモ等に参加し、多くの死者が出る程、大統領に対して不満や怒りを訴えていました。

今まで平和だったニカラグアでは見られなかったような人の雰囲気や街の光景に変わり、約1か月の間、JICAスタッフや大使館の方々のサポートを受けながら安全な場所で避難生活をしました。日々状況が悪化し、避難一時帰国をすることになり、任地といきなりの別れとなりました。そんな状況でも助産師として活動を続けたいという気持ちがありましたが、実現できませんでした。

私がボランティアとしてニカラグアに貢献できたことは小さなことしかありません。外ではたくさんの人が亡くなり、怪我人が増え、命をかけて戦っているニカラグア人に何もすることができずに、ただ時間だけが過ぎていった日々がとても悲しく悔しく、自分の無力さを痛感しました。

 日本へ一時帰国する前も、友達や職場の人達と再会するのは難しい状況だったのですが、同僚は私の家に会いにきてくれました。「今は奈央が安全な場所に避難することが私達も嬉しいから、気を付けて日本に帰ってね。落ち着いたら再会しようね。」と逆に元気づけて送り出してくれ、彼女の配慮に申し訳ない気持ちでいっぱいで、かける言葉が難しかったのを今でも覚えています。また再会することと安全に過ごすことを約束し、ニカラグアを離れました。

 一時帰国している今、彼らを残して日本で安全に生活できていることを申し訳なく思う気持ちが心の片隅にあるのと同時に、日本には一旦旅行に来ているだけで、またニカラグアにすぐ帰るような気もする不思議な気持ちです。日本は本当に平和な国だと実感しました。

家族のように接してくれた温かい同僚達やニカラグアの家族、友人達は、今も、私にいつも連絡をくれ、気にかけてくれます。彼らと一緒に仕事ができたことは、自分にはとてもいい経験で、誇りに思います。日本にいて今できることは多くありませんが、1日でも早くニカラグアが良い方向に進み、以前のような平和な毎日が送れることを心から願っています。


中学2年生のクラスを受け持ちました。日本の中学生と手紙交換をした生徒達です。学校に行くといつもエネルギーいっぱいです。

   

授業を始める前に長い休み時間があったので学生と会話をしたり、外で遊んだりしていました。

私の住んでいる市の公園です。ニカラグァの公園はとても綺麗です。小さい子供からお年寄りまで集まり、いつも賑わっています。

定番料理の1つはタハーダというバナナのフライです。鶏肉か牛肉と、キャベッの千切りをたっぷり乗せてくれます。玉ねぎの千切りとお酢の酸っぱいソースをかけて、手で食べます。

学校の設立記念日です。生徒達が楽器やチアリーダーなど交えて頑張って行進していました。
よく道路に馬や牛が歩いています。動物も移動手段の一つです。毎日暑い中、たくさん人のために働いてくれています。


2017年に入り、新しく陸上部の生徒達に向けて授業をしました。この日は、誕生日会をみんなで楽しみました。

男子のみのグループです。学校にいる時より、深く生徒の性格を知って話ができ、仲が深まりました。

遊びながら学べるように工夫をしていました。陸上部の生徒達はみんな仲がよかったです。良い顔をしていますね。

日本の書道を紹介しました。大きな筆と墨で書くことが珍しく、とても人気でした。

男子生徒も妊婦体験をし、妊婦さんの大変さを学べたようでした。
テーマはデートDVでした。中学1年生で難しいテーマなので、「女の子達との良いコミュニケーションは?」について一緒に考えました。

半年間かけて学びにきてくれた生徒達へ修了式を行いました。オリジナルの賞状もとても喜んでくれました。