ニジェールで頑張っています   「りる」第27号より

                                                    ニジェール  Y.F.
                                                             平成11年度3次隊
                                     視聴覚教育
                                                                

   協力隊員としてニジェールに来て、 一年と三ヶ月が経ちました。なんだか随分昔から此に居るような落ち着いた心持ち、でも昨日来たばかリのように、着いた時の記憶は鮮明で、まったく時間というものは、時計の針通リには進まないものなのだなと思います。

 私の派遣国はニジェール、西アフリカの内陸にあり、暑く乾燥した、世界で最も気候の厳しい国の一つ、世界で最も貧しい国の一つといわれている国です。

 しかし、日本の様に物質に溢れた国に育った私にとって、この国の魅力がまたそこにあるといえます。よく、言われていることですが、人の幸、不幸は物質的豊かさには必ずしも比例しないということを、真に実感できるからです。この国には助け合いの精神があり、物質的に貧しくても、、不幸を感じず、心豊かに生きている人達が大勢います。

 私は二〇〇〇年の四月から、首都ニアメより九百キロ東に離れた旧首都、ザンデールに派遣されています。ギニア虫症という寄生虫病の撲滅活動に、視聴覚教育隊員として参加するというのが、私に与えられた仕事です。もっと詳しく言えば、私の仕事は、できるだけ多くの村人に病気の予防方法を理解し、実践してもらうように説得するというものです。

 ギニア虫というのは、白く、細く、素麺のような格好の、全長約一メートルにもなる寄生虫です。これが人の体の中で育ち、産卵期になると、人の手や足や思わぬところから、卵を吐く為の池の水を求めて、皮膚を食い破ってにょろりと出てきます。池の水中に爆発するように吐き出された卵は、ミジンコに食われ、そのミジンコが入った水を、人間が飲んで感染します。潜伏期間は約一年間。ギニア虫が人の体から出てくる時には、熱が出て、ひどい痛みが襲うと言います。死に至ることはまずないといっても、やっかいな病気です。

 お気づきかと思いますが、予防はいたって簡単。つまり、池の水を飲まなけねば良いのです。ところがこの国は乾燥していて、水がふんだんにあるという国ではありません、特にここザンデールでは、岩盤が厚く、日本の最新技術をもってしても井戸を掘るのは一苦労という有様。村人は、雨季に雨が降ってできる溜池の水に生活の水を頼らざるを得ないというのが現状です。

 村人が溜池の水を飲むことを前提として、村々を巡りながら彼らにギニア虫症の予防方法を教えてまわります。つまり、池の水を直接飲まずにフィルターか衣服を使って漉そうということと、ギニア虫症の患者は池に入れないようにするということを守って生活してもらうのです。

 なあんだ簡単じゃないかとお思いでしょう。ところが、教育というものを受けていない村人の理解力というのは想像を絶します。たとえ、理解できたとしても、実践にはなかなか結び付きません。

 苛烈な日差しの下の農作業。汗はかくし、咽は乾く。どんな水でもよいから、とにかく口にしたい。そんな時に、フィルターや衣服できちんと漉してから水を飲む。難しいことです。たとえそれができたとしても、何度か続けて飲むうちにフィルターや衣服の裏表を間違えたり、穴が空いていないか確かめるのを忘れたりしないとどうして言えるでしょう。きちんと衛生教育を受けて育った我々にさえ、難しいことではありませんか。ついうっかり、ということがないとは言い切れません。

 この暑く乾燥した厳しい気候の中で日々の糧を得るのに精一杯の村人に、生活習慣を変えるよう説得するのは実に骨が折れます。そこをなんとか、手を変え品を変え、納得して実践してもらえるように我々は頑張っています。

 ところで、私はここ数年ずっと仕事のやりがいということについて、考えていました。日本で、私はグラフィックデザイナーであったり、TVコマーシャルや小さな番組の制作スタッフであったり、子供に絵や工作やコンピューターアニメーションを教える先生であったりしました。どの仕事でも一所懸命やれば、それなりの充実感が得られます。けれどもやりがいというものは、どれだけ必要とされ、どれだけ人の役に立つかというところにあると思います。自分がした仕事に対していい反応が得られれば、とても嬉しく、仕事への意欲も湧くというものです。

 時代がそういう時代だったのでしょうか。あるいはそれが消費文化というものでしょうか。その昔、私が数日徹夜して関わり、制作したTVコマーシャルは、たった、二週間の放映後、数多いTVコマーシャルの一つとして、恐らく誰の記憶に留まることもなく、この世から消えてゆきました。何度かそういうことを経験すると、虚しさを感じるようになります。たとえ人々の目を向けさせるいいものをと一所懸命作ったところで、人々は私の作ったものを大切にはしない。別の新しいものが出ればそれに飛び付く。もともと、私のしていることは、何の役にたっているのだろう。自分がしていることの、作ったものの価値を考えると、暗澹とした気持ちになってきます。

 ここでは、私の仕事がどれだけ効果を上げているか、ある活動の一員として働いているので、正確に知ることはできません。でも、私の画いたポスターや看板、撮った写真が、絵や写真をあまり目にしたことのない村人に披露され、彼らがそれらを微に入り細にわたり熱心に見て楽しみ、それをちょっとした驚きや笑いで迎える時、それを理解して病気の予防に役立てる時、その絵を色あせるまで大切に持って使ってくれる時、私は深い満足を感じます。

 先日、AC(村の保健員)の研修があって、ギニア虫撲滅に関わる全国のACに研修後、Tシャツが一枚ずつ配られました。それが彼らがあCであることのトレードマークというわけです。その胸に描かれた、一人の婦人がフィルターを使って水を漉している絵は、私が半年以上も前に制作したポスターの絵をきれいにトレースして作られていて、驚きました。作者の権利というもののない国でのことで、私には事前に知らされなかったのですが、とても嬉しく思いました。

 ニジェールは現在雨季にあります。先日村を巡回していた時、ふと空を見上げると、地平線の彼方から黒い雨雲が現われてもくもくと陽の光を押し退け、すごい勢いで迫り、あっという間に私の頭上にやって来て、砂まじりの激しい雨を地面に叩き付け始めました。でも、反対側には明るい空があり、沈もうとしている夕陽が大地を照らし続けています。本当に美しい一瞬でした。視界を遮るものがないので、自然がより雄大に美しく見えます。雨の後には砂の大地にも鮮やかな緑が吹き、村人はミレット(穀物)や野菜の豊作を期待しながら畑仕事に出かけます。

 私の任期も残り僅かです。まずは健康。そして活動と生活の両方を楽しみたいと思っています。