日本へのメッセージ    「りる」第10号より

     ニジェール       T.O.

                     平成6年3次隊

                     陶磁器

 

 前回に続き、便りが遅れてしまったことをお詫びします。N様はその後いかがお過ごしでしょうか。10月にN様からいただいた協同組合についての本、そして手紙にはとても励まされました。人生の先輩の言葉としてありがたく思っています。やはり、何事も共鳴者を見出すということは、私も大切な事だと思います。

私の場合、その共鳴者なる人物はすぐに見つけることができ、今は大変仕事のし易い状況にあります。そればかりか、彼の家族とは、本当の家族同様につきあう毎日です。毎日のように食事をごちそうになり、病気で倒れると、心配して家まで有料の自転車を走らせて来てくれるのです。

こうなってくると「仕事」は「仕事」「生活」は「生活」と割りきりがちな日本人の嫌な側面を反省してしまいます。自分の中でも確かに生活のリズムが変わってきたかなと思います。

変わることは弱さではなく、今の自分にとっては強さを学ぶことのように思います。変わることだけでなく、毎日の生活の中で、今私は、母国である日本、そして日本人としての己を反省することが多いです。また、このニジェールに来て、より深く、豊かさと貧しさについて考えています。

一般的にみて、日本人はアフリカというと、まず「貧しい」という先入観があるのではないでしょうか。しかし、本当の貧しさとは何でしょうか。日本のようにスーパーで何でも物の揃(そろ)っているということが豊かさだということでしょうか。お金を出せば何でも手に入れることの出来る社会が豊かだということなのでしょうか。

 ニジェールには、日本ほどたくさんの物がありません。もし店に置いてあっても買えない人の方が多かったりします。しかし、物を買えない人が貧しいかというと、そうではないと思うのです。こちらでは、田舎の村のことをブルースといいますが、ブルースに行くと、商品の流れは無いけど、かわりにたくさんの笑顔があります。とても豊かです。

ハツィ(ミレット)やクベワ(かぼちゃ)、マサラ(とうもろこし)等、いろんな農作物をつくり、皆で村の広場でおしゃべりをしながら臼(うす)をついている。そんな中に居ると、日本での企業戦士たちが滑稽(こっけい)にさえ思えてきます。

 アジアの過疎の村から日本へお嫁に来た女性が「日本に来て貧乏というものが、つらいということをはじめて感じた」といいます。日本も昔は貧乏でした。でも笑いを大切にし、家族を大切にする豊かな国であったと思います。

なのになぜ、そのスピリッツが欠けていってしまったのでしょうか。なぜ、アジアからの花嫁が「意識的な面で他人から貧乏というレッテルをはられることがつらい」と感じなければならないのでしょうか。日本は、日本人は歩み方を間違ってしまったのではなかろうかとさえ思います。

 

  MirrianのOさんの家族



 今、私はNIGERに暮らして、日本では漠然と感じていて矛盾が日ごとに明確になっていくのを感じます。資本主義社会の循環性のゆきづまりを感じ、先進国と位置づけられる国々の貧しさを思います。それと同時に、日本という国がいかに外に向けて無責任であるかということも考えさせられます。

国際化、国際化と叫ばれている今の日本で、本当に問題を重くみている人が果たしてどれだけいることか。叫ぶだけでなく、先ず自らの生活を見直すことがより尊い国際協力ではないでしょうか。いや、国際協力などという言い方もおこがましい。驕(おご)っている。国際交流であるべきだと思います。

 人間は常に自己の反省の上に歴史を積み重ねていく必要性があると思います。現在の援助そのものが、たとえ戦争責任として始まったにせよ、今現在の私たちが為すべきことは自分たちの生活を見つめ直すことではないでしょうか。

 発達したもの、便利なものをふりきる、捨てるという行為は大変難しいことです。しかし、今一度、私たちは人間の生きる基本となるもの、人間の生を考え直さなければならないのではと思います。

食べ物を粗末にし、自然破壊を平然と行い、言葉を乱暴に扱い、家族という言葉が意味を持たなくなり、何よりも利己にしか興味がなくなり、数字で物事を計ることしかしなくなった今の日本。本当に世界を意識するのなら、先ず日常の自らの生活を見つめ直そうではありませんか。

 

  子供たちとO隊員



 ここニジェールでは、皆「日本は素晴らしい。日本へ勉強に行きたい」と言います。自国を褒(ほ)められ、受け入れられることは、とてもうれしいことです。しかし、彼らが日本に行き、学ぶこととは一体何であるかを考えるとき、素直に喜べない気持ちになります。

技術は素晴らしい。しかし、日本の子供たちには表情が無いではないかと思います。感情を何より大切に、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣き、喜びは分かち合う。

ニジェール人が大切にしているこのことを、日本の社会はどれだけ受け入れられるのだろうかと考えます。もちろん、日本の全てを否定するわけではありません。日本人は、大変素晴らしい気質をもっているし、精神力も尋常ではないと思います。

このように世界のトップといわれるほど成長を遂げたのも、先人たちのおかげだと思うし、尊敬せずにいられません。ただ、その成長の過程において、人間にとって最も大切である、おおらかな自然を忘れてしまったのではないでしょうか。

 道は全てアスファルトで固められ、電車は定刻にきっちり発車し、ビルが整然と立ち並ぶ日本の社会では、自然を忘れがちになるのも無理は無いかもしれません。しかし、自然は、人の心の中にこそ存在するものであると思います。私たち日本人も、決して諦めたりせずに、自分自身を見つめ直し、自然をとりもどそうではありませんか。

 今、一番私が言いたいことを書いてきました。N様だけにではなく、きっと「りる」に載せてもらえることを願って、日本へのメッセージとして書きました。これを読んで、「ふん、つまらない」と思う人、何らか共鳴してくれる人、さまざまだと思いますが、私は一人でも多くのひとに、変わることの強さ、勇気を持って欲しいと思います。願っています。

 私も日本が大好きです。日本人として、生まれたことに誇りを持っています。この先、日本がどう変わるか心配でもあります。でも、希望を持って、自然を見つめ直し、生きていきたいと思います。皆様もどうか日本での毎日を大切にお過ごし下さい。

えらそうな事ばかり言っていますが、公の事業に参加出来て少しでも発言のチャンスのある今、私は日本に向かって言いたいのです。これもN様とのつながりがあればこそと思い、感謝しています。

 では、またお便り出来る日まで、皆様、そしてN様お元気でお過ごし下さい。

1995年11月9日