帰国隊員報告         「りる」第15号より

     ニジェール       T.O.

                     平成6年3次隊

                     陶磁器

 

 私は1995年4月から2年間ニジェールヘ派遣されました。ニジェールは国土の3分の2が砂漠で緑が非常に少ない所です。今、緑のプロジェクトがはいっていたり、隊員全体で緑を守ろうという動きがあります。

 簡単に任国と任地の説明をさせていただきます。ニジェールは、日本の国土の3,4倍という面積がありますが、3分の2は砂漠でとても水の少ない所です。任地のミリアはニジェールの中でも降水量の多い所で、池もあり、そのため粘土層もあって陶芸の盛んな村でした。

私の所属先は農業牧畜省のザンディール県ミリア郡共同組合でした。要請書をもらって行きましたが、要請書では約150名の女性と働くということで現地に行ったところ、それは紙の上だけのことで組合もありませんでした。困り果て、一軒一軒村の人と一緒に回ってもらい、説明して協同組合を作ろうとしました。小さな力を集め何かをしませんか、ということから始めました。

最初は30名しか集まらなかったのですが、その30名で店を持つことにしました。その店はザンディールというニジェールから20Kmくらい離れた旧首都で構えることになり、そのために話合いから始まりいろんなことを決め協同組合の活動にはいりました。その時の感想を今から話させていただきます。

 まず、”何を教えてきたのか”と言われますが、教えるというより、私は毎日が表現だったと思います。毎日の仕事、生活とわけられるものではなく、毎日の自分の行動すべてが協力隊員としての自分の姿だと思いました。そして、価値観の違いを痛感しました。

日本人同士でも価値観の違いはありますが、西アフリカのニジェールでも人間同士の価値観の違いは感じました。価値観の違いを、どううまく融合していくか、それが文化の相互理解だと思うし、自分自身を変えることも必要だと思いました。自分自身を変えなければ存在できないし、必ず失敗すると思いました。

 また、私は村に入り、反省したことがあります。当初から感じたのは日本人として自分自身の反省、それから大きく日本という国を反省しました。日本の今の状況はいいとは言えないと思います。そして、それを直接任地の人に伝えるわけではありませんが、任地の人は日本に対する強いあこがれを持っており、どう理解し合うかが大変でした。日本の反省点をどう生かせばよいか考えていましたが、今こうして帰国し、このような場(機会)を与えていただき発表できることは大切です。

 私が言いたいのは、ほんの小さなことを考えるだけで、家庭から社会に、社会から世界へと変っていくことを感じました。それは、任地ミリアの方のピュアーさから多くを学んだように思います。

派遣先では沢山の人々と出会い、人との出会いの大切さを感じました。日本でも、2年前から人との出会いは一期一会で大切なことだと思っていましたが、しかし、海外でこんなに痛切に感じたことは、アフリカの人々がすごいパワーを持ち、心がピュアーだと思うし、私達も見習うべきだと思います。

 アフリカの人はピュアーですが、今沢山の問題をかかえています。民主化に向けて各国力を合わせて頑張っていますが、ニジェールでも一年間にクーデターがあり、派遣隊員も首都に帰され、大変な事態になりました。しかし、希望(日本人は忘れているのではないかと思いますが)という言葉を彼らは常に覚えており、クーデター後の立上りは徐々に良い方に向かっていますし、国民全体が政治に注目しています。

 私と同じ平成6年度3次隊でソロモン諸島へ行かれた隊員の方がいます。その方とは訓練所時代、いろいろと話をして別々になったのですが、惜しくも亡くなられました。私はとてもつらい思いをしました。出発隊員の皆様はこのようなことのないよう、元気で帰って来て下さい。

最後になりますが、青年海外協力隊を育てる会の方々、これまでお世話になった先々の方、そして大切なことを沢山教えてもらった父と母に御礼を言って私の報告を終わらせていただきます。
ありがとうございました。