ニジェールだより   「りる」第26号より

                                                    ニジェール  Y.W.
                                                             平成11年度1次隊
                                     植林

                                                                

 私がニジェール共和国に来てもうはや2年がたち、気が付くと帰国の時期となってしまいました。私は、植林隊員として「緑の推進協力プロジェクト」にチーム派遣され2年間ニジェールの田舎で村人とともに生活しました。私が派遣される以前よりプロジェクトであったため、活動計画はできあがっており、何も探さなくてもどんどんやることはありました。

こんなことを言うと、一生懸命活動計画を考えている個別派遣隊員に悪いのですが、あまりに活動量が多く充実しすぎてちょっと疲れた2年間と言った感じでした。ここで2年間を振り返り、活動のこと、生活のことなどを書きたいと思います。

 私の所属している「カレゴロ緑の推進協力プロジェクト」は植林、野菜、果樹、村落開発と言う違った職種の隊員が所属しており、それぞれの方面から協力して地域住民と活動し、生活を向上させ、緑を回復していこうとするプロジェクトでした。と言うのも、植林だけでは実際のところ利用価値が少ないため、住民に説得力が無く、みんなついてこないので、野菜や果樹と言った魅力有る活動と共同で村人に植林もしてもらうとした方が良いからです。

プロジェクトにおいて私の活動は、1年目は主に7月に行われる地域住民への苗木配布の準備、実施でした。私の活動地域では、先輩隊員の汗と努力のおかげで、菜園の生け垣と言う植林目的がすっかり普及しており、村人は皆、生け垣を利用しているため植林する気まんまんでした。どこへ行っても、「生け垣を今度設置するから苗木くれ!」と言う村人ばかりでした。

そんな村人へ、きちんと苗木が配布され植林してもらえるように苗木要請をとり、要請者と一緒に畑を一けん一けんまわって、何の樹種を何本ほしいという発注をとり、それに従って苗木を生産、7月に苗木要請者へ苗木をお届けと言うことをやってきました。そんな活動の中で、ちょうど赴任して半年たった4月の頃、本来ならまだ1年いるはずの先輩植林隊員がマラリアのために活動継続不可能となって帰国してしまい、植林隊員がぼく1人になってしまいました。

前年で有れば3人いた植林隊員がぼく1人になり、同じ活動量をこなさなくてはいけなくなりました。そのときは同じ活動量をしたらぜったい倒れるとか、本当に苗木配布までいくのだろうかとか思いました。しかし、ぼく一人になったあと、他のプロジェクト隊員(野菜、果樹、村落開発)がいろいろと手伝ってくれ、またぼくも容赦なく活動を振り分けたので苗木配布は、疲れで倒れる者続出、マラリア2名と言う犠牲はでましたが、何とか終わらせることができました。そんなこんなで、電光石火な1年目でした。

 植林風景


 2年目はプロジェクト終了の年となるため苗木配布が無く実は暇なのではと思い、いろいろと今後の活動や遊ぶ計画を立てていました。しかし、ふたを開けると終了時評価ミッション来訪やプロジェクト終了の準備、ニジェール政府に業務引継等、やることは泉のようにわいてきて、何かと暇のない2年目でした。

しかし、1年目のような馬車馬のような忙しさはなく、また、自分が病気になったら苗木配布失敗という背水の陣的な焦りもなかったので、自分を見つめてゆっくり活動ができたと思います。プロジェクトを終了し事務所を今は閉めてきたのですが、8年半のプロジェクトはさすがに強力で、事務所閉鎖に1週間、活動資料はぼく担当の植林分野だけで段ボール3箱強になり、現在帰国1週間前と迫ったわけですが、資料整理に追われる毎日です。

 次は生活のことについて書きたいと思います。日々の生活において、ぼくは村に住んでいました。家のことは前回の「りる」で書いたのでここではくわしく書きませんが、現地のかたとおなじ泥の家で、電気、ガス、水道は有りませんでした。今時、協力隊員としては珍しい、農民と全くおなじ生活環境だったので、環境面で厳しいときは有りましたが、村人は最高でした。

ぼくは、仕事があったので夜にしか家に帰らず、村も夜しか知りませんでした。そこで、プロジェクトが終わってから村にしばらく村人と生活を共にしました。今まで、忙しかったと言うことで、昼間の村の生活を知らなかったぼくですが、村人と畑仕事にいき昼飯を食べ、昼寝をすれば夜になると言うのんびりした生活は楽しく、なぜ、もっと早く村人と生活しなかったのだろうと思いました。

村をでる最後の夜に、村の婦人達がお別れのダンスを踊ってくれ、翌日の出発時には朝早いというのに村の男達がバス停まで見送りに来てくれたときは、正直言って感動しました。

  村の子供たちと


 ニジェールでの生活は残り1週間となりました。今思うことは、ニジェールは私にいろいろなことを与えてくれた。早く日本に帰りたいかというと、そうではなく、かといってニジェールにこのまま残るには健康面で厳しいかなと言う感じで、ぼんやりした気持ちです。

帰国隊員がニジェールを去るとき、飛行機で飛び立った瞬間、ニジェールでの2年間が夢であったように思え、遠い存在に感じたと言います。ぼくも、1週間後にはそうなるのでしょうか? いや、そうありたくない、できればもう一度この国に帰ってきたい。今は、そういう気持ちです。