パラグァイにおける協力隊活動を終えて 「りる」第12号より

     パラグァイ       M.I.

                     平成5年3次隊

                     美術

 

 ”ブエン・ディア(おはよう)コモアマネシステ?”(目覚めはどう?)まだ目が覚めたばかりのぼおっとした頭にうちの下宿のセニョーラの声が響く。それに負けじと私も、”ビエンビエン!!イボ?!(いいよ。あなたは?)”と大声をはりあげる。これが2年間変わることなく繰り返されたパラグァイの朝の始まりであった。

一応スペイン語は公用語となっていたが、今まで東京の広尾訓練所やメキシコの語学学校で習った美しいスペイン語とは少し勝手が違い、Sの発音がなかったり、中南米ではあまり使われないVOSの活用があったりと、最初この、”イボ?”を聞いた時私の頭には”いぼ?いぼ?”と体に出来得る何種類かの”いぼ”を想像してしまった。この本当は”イ・ボス(VOS)”と発音されなければならないのにSが抜けてしまうので”イボ”。これに慣れるまで私は一人で笑いを噛み殺さなければならなかった。

 私が2年間下宿していた家は普通の家庭であったが、家には水洗トイレ、温水シャワー、テレビ、扇風機が備え付けられていた。これは幼い時から協力隊員の家はワラとレンガででき、水道も電気もない所で井戸を掘るという誰もが持つ固定概念で塗り固められた私には少なからずショックであった。過酷な条件下での不屈の闘志!といった劇的な展開への胸ふくらむ期待は目の前の一台のカラーテレビによって急にしほんでしまった様に思われた。

しかし冬の寒い夜、(パラグァイは一日に気温差が20℃以上になる)風呂場で簡易電熱線によって少し温められたポタポタ落ちるお湯をちびちび震えながら体に馴染ませていると、思い出すのは日本のボタン一つでたっぷり熱いお湯の出るシャワーであり、夏の暑い夜(35℃は下らない)天井に取り付けられたボワンボワンと、うなりながら回っている扇風機に熱風を送られながら思い出すのはキーンと冷えた風を音もなく出すクーラーであった。人間とは勝手なものである。と同時に知らないという事は幸せな事だと思った。

 そして、その中の上といった下宿から歩いて15分程の所に私の配属先である教員養成校があった。要するに将来小中学校の教師になる為の日本で言う短大のようなものである。朝・昼・夜の3部制の3年制、全学年合わせて生徒数は400人強といったところである。

私の職種は美術ということで派遣されたが、当初どんな授業が自分に出来るのか想像もつかなかった。勿論、一番の頭痛の種はスペイン語である。色彩理論から始めるか、それともいきなりデッサンをやってみるか、はたまた教育美術についての講義が望まれるのだろうか・・・?果てしなく私の頭の中に自分が学生時代に受けた授業内容がフラッシュバックしていった。

  クリスマス・デコレーション講習会で毛糸コロナの説明


 私の他に二人の美術教師が非常勤講師として来ていたが、そのうちの一人から最初に頼まれた授業は折り紙だった。前隊員が残していった本を見て興味を持った様であるが、私の肩に乗っかっていたプレッシャーは半分程その時点で消えていた。

  学校近くの施設で生徒作品の展示 子供達は大喜び


”まぁ日本文化に興味を抱いてくれることはいいことだ。”と自分を納得させ授業に入った。前日に「10cmの正方形を3枚持って来て下さい。」と連絡しておいた筈(はず)なのに、クラス30人余りの半数は何も用意しておらず、私に「今から紙を買って来ていいか?」と聞きに来る始末である。いきなりプツッと切れそうなこの状態をなんとか平静を保ち、とりあえず紙が来るのを待った。

5分程して生徒達が戻ってきたのはいいけれど当然この国に10cm四方の色つきの紙があるわけがない。大きなとりのこ用紙を抱えて帰ってくるなり、たどたどしい手つきで正方形を描き出した。が彼らに必要だったのはまず定規の正しい使い方を知る事だった。どう見ても台形に見える。いや、ひしゃげていると言った方が良いかも知れない。計り直すと10.2cmとか9.8cmになっている。

 書き直させ、次に切っている生徒の方を見ると−思った通り悪い予感は的中する−一枚一枚切っている。「どうして折って重ねて切らないの。そうすれば一回でたくさん他の人の分もできるでしょー!!」この頃には、だいぶ語尾が荒くなっている。すでに時間は一時間を経過している。その日の課題は鶴だった。

「はい。じゃあ始めるよー。」始まって一分も経たないうちに生徒から「この次どうやるのー。」「ちょっと待って、もっとゆっくりー。」と質問や抗議の声があがる。冗談じゃなく超スローぺースで私は一つ一つの折り方を大きな紙を持って説明している。まだ日本の小学生の方が物分りが早い。当然残りの何十分かのうちに鶴が出来上がる筈もなく、続きは来週という事になった。

その最初の授業が終った時には、私の頭の中は真っ白でもう声を出すのもおっくうな位疲れていた。確かに折り紙は手先の器用さが要求される。まして”鶴”は高度な体操競技で言うなら、難度C位のものである。私は逆立ちも出来ない子供にいきなり空中2回転ひねりを要求したのも同じだと思った。とにかく、こんな風に私の予想していた物事は次々と、片っ端から裏切られていった。

  授業風景 指人形作り


 雨が降れば、大体の学校は2・3時間程始まるのが遅れるか、ひどい時はその日は休みになってしまう。教師が来ないからという理由で、だ。授業も小中高午前のクラスは朝7時から12時までで午後のクラスは1時から6時までと正味5時間である。そして極めつけは夏休みが3ケ月位ある。どう考えても授業時間が少ないと思うのは自分が日本人であるという理由からではないだろう。

 こういう風に書いているとひどい話の様にも思えてくるが、この人達の良い所はなんでも素直に一生懸命、物事を楽しもうとする所にある。だから20才を越した大きな大きな体をした男子学生が背中を丸めて小さな机の上で不器用にも手を動かして、はさみや絵の具と格闘し、遂にもう駄目だと悟ると「先生、出来ないー。」と幼児の様に私の所にそれを持ってくる度に「仕様がないなぁ」と思いつつもなんだかおかしくて、つい笑みがこぼれてしまう。

 現職の地方教師対象の美術講習会を行った時も、かなり年配の女性教師がキャーキャー言いながら粘土をこねていて、そんな彼女らから「先生、これはどうやるの。」と質問が来る度になんだか不思議な気がしていた。

 決定的に日本の教育とは違っていた。ここは何でもありなのだ。要領も能率も悪いけれど時間にもルーズだけれど、本当に楽しんで授業を受けている彼らと、青白い顔をして時間に追われる日本の子供達と一体どちらが良い結果をもたらすのだろうか。

日本に帰ってきてあり余る程の物を見るにつけ、そんな疑問がふと頭の中をよぎるのを感じている。