現地隊員レポート             「りる」第60号より 

                                                    パラグアイ    K.I.
                                                               平成22年度4次隊
                                         村落開発普及員
    

 

『パラグアイ情報』

 香川県青年海外協力隊を育てる会の皆様、いつもご支援くださりありがとうございます。

 今回は、私の主な活動と生活について紹介します。

[活動:観光開発]
パラグアリ県(人口約22万人)の県庁観光部に配属になり、県内の観光の活性化、観光を活用して住民の生活向上を図ろうとしています。はっきり言って、パラグアイに「ザ☆南米の観光地」として想像するような壮大な観光地はありません。パラグアリ県にもありません。・・・これは失礼にも私だけが言っているのではありません。

現地の人と、観光資源かな?というようなものを見に行きますが、「こりゃ、素朴だなあ。これだけを目当てに来る人いるかなあ。」となることがしばしばあります。

 ただ、これらは「どう生かすか仕掛けが大事だ。」と思うことにしています。香川県のうどん人気にしても、盛り上がった瀬戸内国際芸術祭にしても、常に「仕掛け人」たちがいて、多くの人がアイデアを出し合い、作りあげていき「素材」を生かしたと思うからです。

 前半の1年間は主に「素材」を調査してきました。そして今は、県内に点在している素朴なそれら(見どころ、食事処やイベントなど)を結んで、観光客に提案できるようなパッケージプランを作ろうと考えています。また観光客の視点に立った地図もほとんどないので作成にかかっています。

  パラグアリ市のセロ・フ(岩山)。屋島によく似ていると思います。

 観光開発で支援というと、資金、設備や機材の援助を求められる場面も多いです。「私はあなたたちとアイデアでできることをする」と答えると、露骨に「この子は何も持ってない」と値踏みされるような態度を取られ腹立たしく思うこともあります。自分が言葉を流暢に操れない分、悔しさが増します。援助を受けることに慣れている状況が多々あることは否定できないと感じています。美談にするには無理があるような援助の跡、現状も見ます。それでも、理解してくれる人も少なからずいるので、私は、その人たちとやっていっています。本当に少しずつ進む感じです。

  コルメナ市での定例会議(Colkaの加工品開発について提案中。私:右端)

[活動:Colka(コルカ)]
香川県は3ヶ年事業でパラグアリ県コルメナ市に対して、農産物の利活用を検討する支援を行っています。今年度はその最終年度。開始当初は、何から手を付けるかも決まっていない状態でしたが、今では、コルメナ産の100%ブドウジュース、トマトピューレができ、今年度中には販売にかかれるようにしようと取組みを加速化しているところです。パラグアイ産としては珍しく保存料、砂糖など無添加で、香川県とのプロジェクトであることも併せてマスコミや雑誌などに取り上げられました。

  Colkaの100%ブドウジュース

技術や知識を学ぶために、香川県から専門家がコルメナ市に来る機会とコルメナ市のメンバーが香川県に行く機会があることが、現地の人たちのモチベーションアップにつながっています。といっても、その機会と機会の間は長く滞りがちになるので、そこに私ともう1人の隊員が入って支援している形になっています。私は香川県庁国際課や農政部など支援側の人たちに、現場でのいい出来事も問題も伝えています。

悩める時はアドバイスをもらい、逆に、県の研修などで取り入れてもらいたいことを言うこともあります。私がパラグアリ県に配属になったのは偶然によるところもあるのですが、香川県の国際協力事業と現地のボランティア事業がうまく連携できている事例になっています。ちなみに「Colka」はコルメナ産の農産物加工品の商標。ColmenaとKagawaの頭の部分を取って作られました。コルメナの人たちから提案されました。いい名前で、私も気に入っています。

大量、安価で質もいいブラジル産、アルゼンチン産など輸入品に押され気味で、その状況を悔しくも相当受け入れているようにみえるパラグアイ。なんとなくよそ事とは思えません。このColkaの商品が、末永く地元の人たちに愛され、誇れるものになることを願っています。

[生活]
前半1年間がしんどかったです。任地に来て1ヶ月ほど経った頃、ホームステイ先と金銭問題でもめて引っ越しをしたこともあります。何より自分で次の家を探さないといけないのが辛かったです。環境も不慣れななかで、不動産屋があるわけでなし、知り合いが多いわけでなし、、、あほらしくも悲しくもなりながら、本当に藁をもつかむ思いで人にあたりました。

パラグアイには香川県出身者や縁のある人たちで作る「香川県人会」があり、そのご婦人に「それぐらいのことで讃岐の女がくじけたらいかん。」と励まされることもありました。そうこうしていると救われる機会にも恵まれ、その後、また家を変えることになりましたが、今は落ち着きました。

それからも今も日本では考えられないようなトラブルも起きますが、私も強くなりました。言いたいことは下手だろうがなんだろうが言わなきゃ伝わらない。しばらくへこんでも、また自分が動き出すしかない。なんだかんだもがいてやっていると、これまた思いもよらない転機が訪れること、人に裏切られるかもしれないけれど、救ってくれるのもまた人だと体感しています。

 生活基盤がなんとか定まると、パラグアリの自然、のんびりした雰囲気もしっかり味わえ、道ですれ違う時「やぁ」「元気?」と声を掛け合い、おしゃべりやテレレ(パラグアイ特有の回し飲むお茶)も始まる気さくさは、本当に心地よく思えるものです。

 今、任期も1年を切りました。活動を形にしたいのもあり、自分自身の成長をみてとれるものにしたいのもあり、少し焦りも感じます。色々と悩むこともありますが、やはり、残された時間の中で、多くの現実を実際に見て聞いて肌で感じて、そして考えたことを積極的に行動に移していきたいと思っています。