PNGでの語学訓練の事   「りる」第15号より

     パプア・ニューギニア   K.U.

                     平成8年3次隊

                     システムエンジニア

 

 赴任する前というのは、色々と任国での生活について想いを巡らせる。何しろ私にとって外国で生活するというのは初めての経験である。ましてや行先は途上国、しかもアジアの国々とは違ってパプア・ニューギニア(当国の人々はPNGと呼称するので、以下PNG)という国はガイドブックすら書店では手に入らない、一体どれ程日本での生活と違うのだろうか、この先二年間やっていけるのだろうか、とやはり心配になる。

 しかし協力隊はよくしたもので、赴任してもいきなり仕事に入るのではなく、現地語訓練と称して地方で現地の生活になじむよう、現地語の訓練期間を設けてくれている。

 マウントハーゲンの小学校にて


 PNGの場合は約三週間で、場所はニューギニア本島中央の山岳地帯、PNG第三の都市マウントハーゲンで行われる。今回は現地語訓練での経験について書きたい。

 マウントハーゲンの空港に、他の同期隊員三人とともに降り立ったのは4月12日。見るからにみすぼらしい空港である。建物も小さく、待合室に受付のカウンターがあるだけ。まず何よりびっくりしたのは、空港のまわりに黒山の人だかりが出来ていること。聞くとこれらの人達は送迎の人達ではない。単にヒマだから空港に飛行機を眺めに来ているのだ。

 ここPNGでは、就労していない人口が多いように見受けられる。彼等は失業者とは違う。何故なら最初から働く気が無いからで、ハーゲンの町に出てみると、ウィークデーの日中でさえ、木陰でのんびりしている人達を多く目にする。気候上、家が無くても凍死しないで済むこと、イモやバナナが比較的容易に手に入る為、飢えることが無いこと、等がこれら不就労層を生み出しているのだろう。

 話はそれたが、語学訓練の宿泊先となったのはハウスポロマン・ロッジというゲストハウスで、ハーゲンの町から車で20分程山を登った所にある。そこのコテージを一つ借り、教室と三人の宿泊部屋として使って三週間を過ごした。

 この三週間のプログラムの中には、ビレッジステイと呼ばれる、いわゆるホームステイが含まれる。期間は三泊四日と短いが、宿泊先にはPNGの標準的な村の家庭が選ばれ現地の人達とピジン語(現地語)で会話し、同じ物を食べ、同じような一日を送る。しかも各隊員はそれぞれ別の村に行くことになるので、まったくピジン語のみの生活となるのである。

 私がステイしたのはトーマス・ホラさんの一家で、彼は他の一般的なPNG人と同様、農業を営んでいる。妻のアグネスさん、長女のタニタ10才、長男のベンジャミン8才の4人家族だ。

出発の朝は、少し小雨が降っていたが、トーマスさんは傘もささずに朝早くからロッジに来て待っていた。私は少し雨が止むの待って行くのかと彼に聞くと、家は「KLOUSTU(すぐ近く)」だから行こうと言う。それならと彼について家に向かったのだが、これがまた大変な道のりだった。「すぐ近く」と言いつつ40分程の行程だったが、これでも私などは一番近い方で、一番遠い隊員は2時間も歩いたと言う。

  村の道を歩く 丸太橋を渡るところ



 その道のりは私達にとっては「歩く」というよりは、「這(は)いずり回る」と言った方が適当だろう。そもそも道そのものの概念が全く違う。私から見れば道とも見えぬ草むらをかき分け、崖をよじ登り、または滑り落ち、丸太一本の橋を渡り、手足で四つん這いになりながら道を這い上り、転がり落ちてようやくトーマスさんの家についた。

 家はかやぶきの屋根。竹の皮のようなもので編んだ壁と床。部屋は居間と、その奥に小さな寝室が2つ。この辺ではよく見かける、標準的な家である。当然、電気もなければ水道もない。

 その晩の夕食はビレッジでの一般的な食事が出された。カウカウと呼ばれるサツマイモと、クムと呼ばれる、シダのような、菜っ葉のような植物を茎ごと塩水で煮るのである。聞いてみるとだいたい毎晩同じような物を食べるらしく、実際見聞きした範囲でも、この国の料理のバリエーションはとても少ない。

 家には電気がないが、ランプも小さいのが一個しかない。しかしPNG人は恐ろしく夜目が効くので、これで充分なのだろう。夕食後はランプの下に家族が集まり、談笑したり、賛美歌を唄ったりして時間を過ごす。が、それも夜の8時には早くも就寝タイムとなる。その分、朝は早い、6時にはもう皆起きている。早寝早起き、健康的な生活だ。

  語学訓練で3週間滞在したハウスポロマンロッジ


 ビレッジの人達は朝早くから働く。しかし太陽が真上に来るころになると、長い昼休みを取る。そして午後は2時から3時くらいで仕事を終わる。私もトーマスさんの農作業を少し手伝ったが、日中は日ざしがきつく、すぐに汗だくになった。
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 一方、マウントハーゲンは高地の為、夜になると打って変わって肌寒くなる。12度くらいだろうか。私はジャージの上下を着て、寝袋にすっぽり入って眠った。

 

  マウントハーゲンの小学校



 その他、短い間だったがトーマスさんの家では色んな事を学んだ。電話がなくても遠隔地に情報を伝達する方法、入浴方法、豚が思ったより賢いこと、等ここには書きたりない程新鮮な経験をさせてもらった。さすがに文明生活に慣れた私には厳しいビレッジステイだったが、おかげで今は首都ポート・モレスビー(任地)で文明の有難さに感謝しつつ、満足のいく生活を送っている。

 赴任から三ヶ月。私のPNGでの生活はまだ始まったばかりだが、毎日の新鮮な驚きを吸収しつつ、これから楽しく前向きな隊員生活を送っていきたいと考えている。