先生からのバトンパス 

     香川県 三本松高等学校 2年   森高  絵理

                     

  小学生の時、私には大好きな先生がいました。彼女は私たちの水泳の先生で、明るくとても優しい人だったので、みんな彼女のことが大好きでした。六年生の時、彼女が青年海外協力隊に入隊したという話を聞きました。それが私と「青年海外協力隊」との出会いです。

  しかし、当時小学生だった私にはそれがどんなものか全く分かりませんでした。それで、中学に入学後、「総合的な学習の時間」で、私は迷わず「青年海外協力隊」を研究テーマに選びました。「青年海外協力隊」とは、開発途上国の援助をするため、国際協力機構によって行われている、青年たちを中心としたボランティアを派遣する事業であるということは、みなさんもご存じだと思います。私はその時、隊の活動と派遣意義を知りました。そして「住民になって働く」という点に特に惹かれ、自分も隊員になりたいと思うようになったのです。

  最近、私は先生と再会しました。5年ぶりに会う先生は相変わらずお元気で、私が隊員になる夢を持ったことを喜び、励まして下さいました。実は先生も、ご自身の高校の先生が協力隊のOBで、そのお話を聞いたことが応募のきっかけだったそうです。協力隊は現地での活動だけではなく、帰国後も、その国の現状や文化を伝えたり、次の世代に「夢の種」を蒔く役割をしていることを知りました。

  先生は、東南アジアの小さな島、パラオに水泳の講師として派遣され、二年間を過ごしました。初めての海外生活で、しかも日本とは違う文化を持つ国で「住民になる」ためには、大変な苦労があったと思います。私自身、昨年の夏にオーストラリアのパースにホームステイをするという経験をしましたが、はじめは驚き・戸惑いの連続で、日本では当たり前と思っていたことが通用しないこともよくありました。

先生がパラオで生活を始めた頃は、なにか失敗するたびに、パラオの人が彼女のことを笑うのでとても辛かったそうです。また、パラオでの生活にも慣れ、知り合いも増えたのに、彼女はいつまでも「外国人」と呼ばれていました。人口17,000人程度の、「誰もが知り合い」という小さな島では、異邦人はなかなか「住民」にはなれないのかもしれませんが、先生は「外国人」と呼ばれることに焦りといらだちを感じたそうです。

  しかし、ある日、先生の車がパンクした時、通りかかった人が、仲間を呼び集めて直してくれたことがありました。お礼をしようとすると、こう言われたそうです。「お礼なんて要りませんよ、今度もしあなたの近くで困っている人がいたら、助けてあげればそれでいいんですよ。」人は助けて助けられて・・・そんなパラオの人たちの考え方に、先生は胸を打たれ、少しずつパラオを知り、少しずつ住民になっていきました。

最後に先生は私にこうおっしゃいました。「パラオの人はな、いつでもどんなときでも笑おうとするんやで。」もし、自分の価値観にしがみつき、他の価値観を受け入れる柔軟な心がなかったら、パラオの人たちの長所にも気が付かず、先生は笑われることをいっまでも辛く思い、「住民」にもなれなかったと思います。

  私は先生のお話を聞いて、ボランティアとは、「ともに生きる」ことだと思うようになりました。ともに生き、お互いが自分のできることをし、ともに成長していく・・・。昨年英語の授業で「識字運動」について学びました。文字が読めることが生み出す可能性は無限大です。私は隊員として、文字を教える仕事に携わり、現地の人たちと「ともに生き」、ともに学んでいきたいと考えています。これが17歳の私の夢です。

  後期に入り、高校での「総合的な学習の時間」が始まりました。私のテーマはもちろん「青年海外協力隊」です。また、10月末にはブルガリアで日本語教師をしていた協力隊のOGが本校に講演に来てくれました。言葉を教えるボランティアについて、話を聞くのは初めてでしたが、私にとって、大きな刺激になりました。

現在は、ボランティア体験や世界の言語との出会いを求めて、市などの国際交流行事に参加しています。ところで、先生はパラオで出会った人生のパートナーとハワイで永住するため、11月に海を渡りました。私はいつの日か、必ず再会したいと思います。先生のバトンは私が受け取りました。私の夢は走り出したばかりです。先生からもらった「夢の種」、必ず美しい花に育てたいと思います。