「テュニジアSE通信」(生活環境編) 「りる」第17号より

     テュニジア          J.T.

                     平成9年1次隊

                     システムエンジニア

 

 平成10年3月。日本を発って8ヵ月が過ぎた。任地「ル・ケフ農業大学」に赴任してからも6ヵ月フランス語とアラビア語と格闘しつつ、いつの間にか2年の任期の3分の1が終わってしまった。早いものである。

 そろそろ何か成果が出てもいい頃だが、実感としては日々の対応に追われるばかりで何も残していない気がする。焦っても仕方ないことではあるが。とにかく今はここで図々しく居座ってやろうと思っている。

 さて、任地ル・ケフについて紹介しよう。

 首都テュニスから西へ山道を走ること170km。バスで3時間強、6人乗りの乗合タクシー「ルアージュ」(凄いスピードで飛ばす。事故多し。協力隊事務所では、極力利用しないよう隊員に呼びかけている。)で2時間半。隣国アルジェリア国境に近い、山岳地帯の斜面に広がる地方都市。標高約700m。(らしい現地人談。)

山岳というと日本では、木々が青々と生い茂る、というイメージがあるが、そうではない。テュニジア国内では雨が多い地域とはいえ、半乾燥地域で夏場に降水量が少ないため、夏は荒れ地、冬でも草地にしかならない。

ル・ケフ農業大学の農場にて

 そんなル・ケフも、実は県庁所在地。そこそこ大きな街である。スーパーマーケットや小綺麗なブティックもあり、ビールも買える。(イスラム圏では基本的に飲酒は御法度。テュニジアでは構わないのだが、保守的な街では今でも酒は買えない。)

しかし、勤務地の大学周辺は話が違う。場所は正確にはル・ケフ市外。街の中心部から斜面を下ること約3km、さらに荒野の一本道を行くこと約5kmの「ブーリファ」という集落にある。周囲には畑と牧草地が広がり、地平線も見える。とはいえ本当にそれだけ、という「陸の孤島」である。

そんなブーリファの、大学内の教員住宅に私は住んでいる。通勤徒歩1分。東京で満員電車に毎朝一時間以上も押し込まれ、通勤だけで疲れ果てていた頃とはまさに別世界である。

 テュニジアというと北アフリカ・中近東の国なので、砂漠地帯で年柄年中暑いと思われるかもしれないが、さにあらず。ここル・ケフでは雪が降る。昨シーズンは15p程も積もったそうである。(現地人談。多分大袈裟。)

 私が任国にテュニジアを選んだ理由はいくつかある。アフリカに行きたかった、フランス語圏である、治安がいい、風土病が殆どない、そして年中暖かいはずであること。

 雪が積もれば、琴電は止まり、電車通学の生徒は自動的に休みになり、徒歩や自転車の生徒は午前中自習になり、午後になってやっと数時間かけて歩いてきた車通勤の先生が到着する、という瀬戸内の環境で育った私は、寒さが大の苦手である。

確かにテュニジアでも海岸沿いや、中南部は暖かい。しかし地図を広げてみると、テュニジア北部は北緯38度。あの南北朝鮮を分断している、いわゆる、「38度線」である。香川県よりも北で、昨年4月から3ヶ月間世話になった福島県二本松の訓練所とそう変わらない。その緯度に加え、内陸かつ高地という条件が揃ったル・ケフは、テュニジアの「みちのく」にあたである。

 前回の「りる」第16号で、首都テュニスの7・8月は、灼けるような暑さで午後はとても働けないと書いた。しかし、ル・ケフの冬の寒さもまた事実なのである。

 今年はル・ケフ、ブーリファ共に、雪はちらつく程度で積もりはしなかったが、ル・ケフの山頂には冠雪が見られた。そして1月中は毎朝氷点下、水溜まりには氷が張る中、霜柱を踏みしめつつ、白い息を吐きながらの通勤、(所詮徒歩1分なのだが。)

実際私も職場では一日中ダウンジャケットを着ていたし、街では「カシャベイヤ」という頭からスッポリかぶるフード付きのテュニジア独特のマントで出歩いていた。2月中旬から漸く日差しも春めいてきたが、まだ夜は石油ストーブが必需品である。

 そんな寒さの中、今年度のラマダン(断食月)が12月31日から1月29日まで行われた。貧しい人々の気持ちを理解するため、そして体を内側から清めるために、日の出から日没まで何も、水さえも口にしないという風習である。

本来ならばやる必要の無い非ムスリムの私であるが、周囲の期待に応えるべく(プレッシャーに負けたともいうが)挑戦した。そして所用でテュニスにいる時以外は実行した。(でも実は何回かズルしました。この場を借りて、現地のテュニジア人にお詫び申し上げます。ごめんなさい。)

テュニジア人:「Jun、ラマダンやってるのか?」
私:「サーユム。」(アラビア語で「断食する」という意味、らしい。)

 ラマダン中はこれが合言葉だった。知らない店のおやじと話す時も、「サーラム。」の一言で相手はとても嬉しそうな顔をしてくれた。外国人である私が現地の厳しい風習に挑戦するということが、その国の文化を尊重しているということになり、喜ばしかったのだろう。

ラマダンの日没後の食事(大学教授宅)

 確かに午後になるとイライラしてきて、仕事の効率も悪くなる。これから先進国を目指すという国で効率を重視すれば、ラマダンなどは論外である、しかし、ムスリムである限り、この風習はなくせない。

日本も、年末年始やお盆に国全体の機能が一時的に麻痺する、という風習を抱えながら先進国へと発展してきた。勿論、今の日本の繁栄は、先達の自分達の生活を犠牲にしてまでの努力ゆえ、ではあるが。

 今のテュニジア人にその努力を期待はできない。しかし、この「ラマダン」を始めとした一連のイスラム的風習を残したままで発展していく道を、テュニジア人自身の手で探して欲しいと思う。