椰子の実 〜名も知らぬ遠き島より〜   「りる」第27号より

                                                    ヴァヌアツ  S.H.
                                                             平成11年度3次隊
                                     村落開発普及員
                                                              

    元気ですかー!!元気があればなんでもできる(アントニオ猪木口調)・・・南太平洋のヴァヌアツで活動している村落開発普及員の半田です。元気でなんでもやっています。今はマンゴーやパイナップルがたわわに実るいい季節。果物でいつでも腹一杯です。

さて、そうこうしている内に、私の任期もあと半年(二〇〇二年四月帰国予定)を残すのみとなってしまいました。今日はここ南太平洋の隠れた楽園、ヴァヌアツのこと、私の活動のことなどを少し振り返って書きたいと思います。

 ヴァヌアツと聞いて、南太平洋の入口約19万の小国(ということは全人口が高松市−約30万−の3分の2程度なんですよー)をきちんと示せた人には、マンゴー一年分を差し上げたい気分です。20世紀初めのイギリスとフランスの植民地時代を経て、 一九八○年に独立を果たした新しい国で、一般に日本の方には馴染みがありません。

話される言語はビスラマ語と呼ばれるものの他に、英語もしくはフランス語などを学校で習います。しかし80余りの島国からなり、それぞれの地域での現地語(ラングエッジと呼ばれる)も使われているので、皆2〜3の言語は喋れることになりますね。

”ナゴール”と呼ばれるバンジージャンプの発祥の地、オールドファンには懐かしい、映画・ミュージカル”南太平洋”の舞台になった島、海の底に沈む豪華客船でのダイビング、世界で最も火口まで近づける火山、そして地理の時間、男子生徒の妄想をかきたてるエロマンガ島(笑−今はエロマンゴ島と呼ばれています)、など見所も満載です。

 しかしながら、ここでの本当の見所というのは、手付かずの自然、正直で素直な人々ということになるでしょう。飛行機で上空を飛んだ時に見えるのはただただ緑のジャングルと青い海です。野菜や果物がぐんぐん成長する肥えた大地、魚や珊瑚がいっぱいの美しい海、にはただ驚きです。

灯りのない夜の本当の真っ暗闇、その一方で月明かりだけで明るい幻想的な夜の姿、などもここで味わいました。そして、数々の村を訪れた時に感じるのは、村人のやさしさと素朴さです。知らない人でも、道ですれ違う時など必ずあいさつします。今私が住んでいるのは、首都ポートヴィラから約60Km離れた所にある、エモア村という所なのですが、人々の生活は昔ながらの自給自足のシンプルな生活がメインです。

朝は5時ぐらいには皆もう起きています(私は当然夢の中・・・)。日中は畑で働いたり、ジュースの瓶に釣り糸をまいた簡単な道具、もしくは素潜りで魚をとったりします。木陰で休みながら、おしゃべりであはははと笑っています。おばちゃん連中がマーケットに行く準備をしています。ウクレレを弾いたり、歌を歌ったり、サッカーをして楽しみます。

夜、男連中はカバという飲み物を飲んで、どろんとなります(鎮静効果あり)。日曜日には教会に行きます。時にビデオの上映会なんかをすると、皆食い入るように画面を見詰めているのですが、そのリアクションがとても正直で、その姿を見ていると私が大笑いです。これが一般的な彼らの生活です。

 彼らの生活は、美しいほどのシンプルさで、心地よい時間が流れています。もちろん、仕事や時間に余りにもルーズであったり、様々なことに対するやる気の無さも見受けられ、活動上大変なことも多々あります。しかしながら、私は彼らにこの生活を守って欲しいと思わざるをえません。

尊敬する人は村のチーフや先生、お父さんお母さん。大切なものは家族とはっきり言える人々。「完璧じゃなくてもええやん。とにかくどうにかなるよ」とでもいうような楽天的な考え方や態度。もちろん、それは他人の芝はなんとかという、文化の異なる日本で生活して来た私の見方ですし、私がこの生活をしろと言われると、実は退屈すぎてまいってしまうに違いありません。

また彼らがこの生活を変えたいと思ったら、それはそれで歓迎すべきことなのでしょう。しかし、こんな人にやさしい自然な生活は、私に何かを感じさせるものだったのです。

 今度は私の活動を少し振り返ってみたいと思います。村落開発普及員。この仕事は、”村の人々が幸せになる方法を探すお手伝い”と私は定義しています。その中でも日本の援助のよる”ソーラー電気による地方電化プロジェクト”による”幸せ探し”が主な活動でした。

具体的には、維持管理のための村民の組織作りや意識改革、ソーラー電気による影響や今後の電化の可能性を調査する、というのを今までやってきました。しかしながら、”幸せ”へのアプローチは一つではないし(そもそも意味自体が千差万別でしょう)、いつも他におもしろいことはないか、他に何か活動できないかと思ってやってきました。

 一年目はこのソーラーに関するプロジェクトを進める一方、ヴァヌアツ文化や村人を理解するので時間が過ぎていったようなものでした。そして、その間に幾つかの食いつきそうなえさ(活動のアイデア)をまき、それに村人たちがようやく食いついて来たのが、半年の任期を残すこの今の時期でした。

当初は、漁業協同組合や子どものためのコミュニティーセンターなどが始まるかなと思ったのですが、結局は今までには形になりませんでした。私は最小限の刺激しか彼らに与えないつもりですので、彼らがそれ以上に関わろうとしないとそこで終わってしまうのです。しかしそれこそ、彼らの本当の必要度を表していると思い、そのように企画していたものがストップしても、全然気にはしていません。

そして、今残った数少ないプロジェクトが、エモア村の観光化計画(現地収入向上のための活動で、地元の生活や文化を破壊せず、そのままの姿を見せるツアーや、現地の人とのホームステイなどを計画)、ヴァヌアツ図書館整備計画(想像力豊かな人になってほしいため、本をはじめ、他のメディアを提供する中心地として、国営の図書館を整備。

将来はヴァヌアツ文化保存のための活動や、移動図書館などで地方にも恩恵を授ける計画)、などです。これだって今後どうなるかわかりません。でも、これらのプロジェクトからは彼らのやる気が感じられ、私も村人自体がそのまま計画を進めていけるようにアドバイスを送っているつもりです。

 しかし、人々からアクションが出てくるタイミングの捉え方、また、外部者である私の存在があまりにも強くならない程度で、主体者である村人に刺激を与えるやり方など、バランスとタイミングの難しさを感じながら今まで活動してきました。また、色々と自分の知らないことがシンプルな生活の中に隠されているのを知った時、援助するなんておこがましいと思ったことも多々あります。

開発って何?援助って何?幸せって何?貧困って何?生きるか死ぬかのせっぱつまった状態の国で働いていると、そういう事を考える余裕もなく日々の仕事で忙殺されてしまう場合も多いでしょうが、こののんびりした国では、そんなことをこの一年半で色々と考えさせられました。色々な指標で世界の国々は分類されています。経済、識字率、平均寿命etc.

日本は全てにおいて発展した国と分類されていますよね。でも何も満たされない思いをしている人も多いかもしれません。それはなぜなんでしょう?こういったシンプル(に見える)生活の中に、何か大事なヒントが隠れているような気がするのです。

 はっきり言ってこれからヴァヌアツがどうなるかはわかりません。
西欧物質文明もいいもんですが、もちろん完璧じゃありません。私がうらやましいと思う、このシンプルな生活(サブシステンスな経済−自給自足の経済といいます)も、もちろん完璧ではないでしょう。

ただ肝心なのは、物事の姿や答えは決して一つではないということ、そして、目標を計画するのも、それに向かって進むのも、その判断を下すのは、外部の人ではなく、現地の人であるということ、さらに、彼らに刺激を与えようとする一方で、色々な見方や経験を吸収し、自分自身こそ変わらなくてはいけないのでは?という意識を常に持って彼らと交わっていくことが大事だと思っています。

 将来、結婚し、家族を持った時、10年後ぐらいに、この国に戻ってきたいと思っています。その時、この村はどうなってるんでしょうね?ただ一つ言えるのは、その時にも、この国の人々の笑顔、特に本当に子どもらしい子どもの表情(見ていて自然に微笑んでしまうんです)だけは失わないでいてほしい、ということです。あと半年何が起こるか、自分でも楽しみにしています。