帰国隊員報告         「りる」第47号より

                                                    ベトナム   M.T.
                                                             平成17年度1次隊
                                     日本語教師
                                                                


『ベトナム帰国報告』

  *任地について*

  私の任地のホーチミン市は、人口500万人の、ベトナム第一の経済都市です。まさに豪快なアジアの町というところで、夜は屋台と人、バイクの音で喧騒がすさまじく、その音に慣れるのに、少し時間がかかりました。

 一方、路地に入ると夜遅くまで子供が遊んでいたり、おしゃべりしている人たちがいたりと、ゆったりとした時間を感じることができました。私の任地は、騒音も排気ガスもひどく、住む環境としてはあまりよくなかったのですが、やさしい人たちが住んでいました。

*配属先*

  私が配属されたホーチミン市人文社会科学大学は、教員数250名、学生数8000人の大学です。その中の東洋学部日本学科で教えていたのですが、そこには約300名の学生が勉強しており、ベトナム人日本語教師も9名ほどいました。

*活動について*

  私の主な活動は授業で日本語を教えるということでしたが、その他に、3つの目標を立て、活動を行ってきました。

1.新しいベトナム人教師の育成
2.日本語を使う場所を学生に提供すること
3.学習環境の整備:図書室の開設

2.の「日本語を使う場所を学生に提供する活動」については、りる46号に書かせていただいたので、今回は3.について述べさせていただきます。

*図書室を作りました!

  大学には、ホーチミン市の中心部にあるキャンパスと、そこから車で40分のツゥードゥックキャンパスがあります。ツゥードゥックキャンパスは、周りに何もない田舎町です。日本学科の学生は、1〜3年生は田舎町のキャンパスで、4年生のみが中心部で勉強しています。


ツゥードゥックキャンパス

 どちらのキャンパスにも図書室があるものの、日本語の本は、ベトナムで出版された古い本が数冊あるだけで、最新の図書は学部の事務所の本棚にありました。ベトナムでは本が盗まれるということがよくあるので、事務所の本棚には鍵がかけてあり、せっかく最新の本があっても閲覧できるのは教師だけという状況でした。

私の前任者がいたときから、日本学科の図書室の開設の計画があったにもかかわらず、資金の問題で延び延びになっていました。

 赴任して1年が過ぎたころ、日本学科のL主任が東芝財団というところの資金援助の話を見つけてきてくれ、開設に向けていよいよ乗り出すことができました。日ごろL主任は日本学科の実務的なことにほとんどタッチしていないのですが、学科のことを考えてくれているのだと、このとき感じることができました。

そして、3学年が勉強している田舎町のツゥードゥックに、図書室を作ることになりました。


図書室

 それから、閉校した日本語学校から寄贈してもらった本など約400冊の図書を分類、ナンバリングを行いました。もちろん、私だけではできないので、同僚や学生に協力を依頼しました。するとたくさんの学生たちが快く引き受けてくれました。埃だらけの本を整理している学生に、「どうもありがとうね」と声をかけると、「先生、(整理するのは)楽しいですよ」と、とびきりの笑顔で答えが返ってきたときはとても嬉しかったです。

この子達がいるから、がんばれる、そう思いました。図書室が開設してからも、彼女たちボランティアは、コピーをとったり、本を取り出したりと忙しく働いてくれました。彼女たちボランティアに図書室は支えられていると言っていいでしょう。田舎町ツゥードゥックは、周りに何もないところで、そこで寮生活をしている学生も多くいます。そのツゥードゥックで日本のいろいろな本を、学生が実際に手にとって見られるようになったのは、大きな変化だと思います。

*最後にうれしかったこと*

一つ目:スピーチコンテスト

  帰国が2ヵ月後に近づき、(・・・活動の成果というようなものを残せているのかな・・・)と思っていたころ、ホーチミン市スピーチコンテストの本選がありました。そこで、私が2年間教えた学生が1位と2位になりました。その結果を聞いたとき、それまでの疲れや辛い気持ちがすべて吹っ飛ぶようでした。

辛いことがあっても、こうやって学生が結果を出してくれる、もうそれだけで十分だと感じました。もちろん、この結果は学生自身の力によるものということは分かっていますが、2年間の活動の終わりにこうやって学生が素敵なプレゼントをくれた・・・そのことが、とても嬉しかったです。


’07年スピーチコンテストに出場した学生たちと

二つ目:

  私は主に東洋学部で活動していましたが、活動終了2ヶ月前に、国際部という他学部の学部長と話をする機会がありました。そのL先生は、いつも忙しくされているので、あまり話す機会もなかったのですが、そのとき話をして、教育についてとても進んだ考えをもった方であることが分かりました。

同じ考え方の人だと思ったとたん、堰をきったように言葉が出てきました。「ベトナムの教育問題について学生にスピーチをさせたことがありますが、教授が一方的に話すだけの授業に学生は飽き飽きしています。人文大学のレベルは、今は高いですが、お役所的な教育体制のままだと、今のレベルはすぐに下がるでしょう。」と私が言うと、「大学のために問題点を指摘してくれてありがとう」とL先生は言ってくださり、学長に会って話をするようアドバイスをしてくれました。

 8000人もの学生がいる大学の学長が一ボランティアに会ってくれるだろうか・・・と一瞬、ためらいはしたものの、いま私が言わなければ・・・と思い、何度も電話をし、アポイントをとることにこぎつけました。

 そして当日。活動報告を行ったあと、上申書を渡し、状況について説明をしました。

(以下上申書の内容から)

  人文大学で2年間活動させて下さり、どうもありがとうございました。学生に接すると一流の大学であるとすぐ感じることができました。しかしながら、貿易大学は1年半前より日本語教育の整備を始め、徐々に力をつけてきており、今のままでは貿易大学に追い越されると危機感を感じております。

 貿易大学では、学期の終わりに、授業について学生全員にアンケートをとっているそうす。

質問の例)
・どの先生の授業がよかったですか。
・○○先生の授業について感想を書いてください。など

 学生からこのようなアンケートをとるのは、非常にいいことだと思います。人文大学でも、このようなアンケートを実施していただき、その結果を教師の待遇に反映していただきたいと思います。そして、教師の能力を正しく評価し、待遇を改善する努力をしていただきたいと考えております。

 それから10日後、卒業試験を終えた学生から、学部についてのアンケートがあったと聞きました。専門を選ぶのは何年生からがよいかなどの質問があり、自分の学科について意見を書くところもあったそうです。

授業に関するアンケートではなかったのですが、学生に意見を聞くという姿勢は今までの大学にはなかったことだったので、早くアクションを取ってくれたことに感激しました。最後に私を認めてくれたことが分かり、本当に嬉しかったです。

*最後に*

  私は日本語教師になるという夢をずっと持っていたのですが、協力隊の2年間は、その夢を実現する場所、そのものでした。苦しいときは学生の笑顔に励まされ、そして頑張ろうという意欲が湧く・・・学生は私の活動の源でした。そんな学生たちに教えることができ、日本語教師として本当に幸せな2年間だったと感じています。

 私はボランティアで行ったけれど、学生、同僚、同じ協力隊の仲間、そして香川の方々や家族など、本当にいろいろな人に支えられて2年間を送ることができたのだと思います。そのことを忘れず、今後は何らかの形で、日本に住んでいる外国人のお世話ができればと考えております。

最後になりましたが、香川県青年海外協力隊を育てる会のみなさまには、活動中多大なご支援をいただき、大変ありがたく感じております。この場を借りて、お礼申し上げます。