現地隊員レポート             「りる」第57号より 

                                                    イエメン/エジプト   S.A.
                                                             平成20年度3次隊/平成21年度8次隊
                                         
青少年活動   

 

『2か国×2年半の協力隊生活を振り返って』

 皆様、こんにちは!私は平成20年度3次隊のS.A.と申します。今年の7月に2年半の任期を終え、香川県に帰ってきました。派遣中は育てる会の皆様を始め、沢山の方に支えて頂き、無事に任期を満了することが出来ました。本当にありがとうございました。

 私が「りる」に初めて寄稿したのが2009年の4月に発行された第49号。まだ派遣されて間もない頃に一度記事を掲載して頂きました。それから続けて投稿出来れば・・・と思っていたのですが、治安の悪化に伴う二度のイエメンからの退避。そして、任国振替になったエジプトでもデモによる一時退避を経験することとなり、あっという間に今に至りました。

半年延長はしたものの本当に早かった私の協力隊生活。お世話になった皆様へのご報告も兼ねて、2回に分けてそれぞれの国でのことをご紹介していきたいと思います。

(1)イエメン編 派遣期間:2009・1・5〜2010・3・25)

  イエメンの詳細については以前紹介しましたので、割愛させて頂きますが、私の最初の任国だったイエメン共和国はアラビア半島の南西部、サウジアラビアの下に位置する国です。日本ではあまり知名度が高くない国なので「イエメンって、どんな国?」と聞かれることが多いのですが、そんな時私はいつも「敬虞なイスラム国家だよ」と答えてきました。

国民の99パーセントがイスラム教徒と言われ、生活のあらゆることがイスラム教ベースで動いているイエメン。

全てはアッラーが決めること。コーランに基づいて、彼らは生活を営んでいます。国に災いが起きようとも、約束事が果たされなくても、全てはアッラーが望んだこと。アッラーが決めたから至った結果。どんなに理不尽なことであろうとも、アッラーが決めた以上、それは彼らにとってはなるべくしてなった当然の結果なのです。


  派遣当初、「日本人」の私はその考え方に、「そんなこと言ってしまったら、殺人も窃盗も何でもありになってしまう!理解出来ない!!」と思っていましたが、どうしようもならない時はどうしようもないし、何事においても絶対なんて存在しない。寛大な心を持てるイスラムの考え方を今ではとても素敵だと思うようになりました。

 また彼らにとって左手は不浄の手で、あらゆることは右手で行う、もしくは右から始めます。飲み物を飲む時、コップを持つのは右手。人にものを渡す時は必ず右手で。部屋に入る時も必ず右足から。私は毎日、同僚や友人達から愛情いっぱいのイスラム指導(左手を使うと注意される)を受けながらイエメンでの時間を過ごしていました。

 そんなイエメンでの私の配属先は地元のNGOが運営する青少年文化センターでした。

「青少年文化センター」と言っても、小さなオフィスとホールが一部屋ずつあるだけの簡素な場所で、そこで私は
(1)センターのイベントの企画・運営
(2)ボランティアの育成
の2つを求められていました。

赴任当初、センターでは何も活動が行われておらず、お金がないからイベントが出来ないというセンター長とお金のかからないイベントをしたい私の間には軋櫟がありました。

当時の私は知らなかったのですが、イエメンでは何かイベントを行い、ボランティアを集める際には必ず軽食や交通費を主催者側が提供するという風潮がありました。また、センタースタッフのお給料やセンターの運営費は全てイベント開催時に集めたお金から捻出されており、彼らにとって「お金」は必要不可欠なものだったのです。そんなこともあり、私にはお金を生み出す(ドナーを探す)ことも期待されていました。

 イエメンではその後、センター長と企業や大使館に企画書を持って行って支援を頼みながら、並行して大学生ボランティア達と共に孤児院で子供達と交流をしたり、日本語教室や清掃活動をしたり、学校へ行っていない子供達に美術のワークショップをしたりといったような活動を行いました。

ボランティアはお金がなくても、規模が小さくてもやる気があれば出来るということを伝えたかったからです。約7か月という限られた活動期間の中で、多くのことは残せなかったかも知れませんが、センターのスタッフ達や大学生ボランティア達と一緒にイベントを企画、運営出来たことは私に沢山の刺激を与えてくれました。まだまだ発展途上にある分、可能性に満ちた彼ら若者達がこれからイエメンを担っていってくれると信じ、彼らとは今も時々連絡を取り続けています。

 現在は民主化デモの渦中にいるイエメン。あれだけ働かない(※イエメン人男性は朝からカートという麻薬をかみ、午前中のみしか働かない人達も多かったので)彼らがこんなにも長い期間に渡り、デモを続けているのは、働かなかったのではなく、働けなかった(=職がなかった)からなのかなと最近たまに思ったりもしています。

国民の多くの人達が1日を2ドル以下で生活するイエメン。デモの混乱で、アルカイダが更に勢力を拡大することも懸念されます。この2年半で多くのアラブ国家を回りましたが、あんなに素朴な人達は他に居ません!1日も早く、デモが落ち着き、国が良い方に進んでいくことを心から願っています。そして、いつかまた平和を取り戻したイエメンへ再訪することが私の今の目標の一つです。

街の至る所にはジューススタンドがあり、新鮮な旬の果物をジュースにしてくれていました。早朝から深夜まで開いており、お酒を飲めない彼らにとって、ジューススタンドはまさにバーのような感じ!? 結婚式の時などヘナで模様をつけたり、髪を染めたりしていました。娯楽の少ないイエメン女性達はみんなヘナが大好きでした。
私の任地タイズの街並みです。 首都の旧市街のおばあちゃん達が来ている民族衣装。後ろから写真を撮っているのは、女性の写真を撮るのはタブーで前からは撮れないからです。
ご馳走の写真。手前の大きな食べ物はビントサハンという蜂蜜たっぷりのパイです。
いつも食べられる物ではありませんでしたが、私はこれが一番好きでした!
女性隊員にとってはアバヤ(全身を覆い隠す黒い洋服)とヒジャーブ(頭に巻いている布)はマストアイテムでした。顔を隠すブルカはケースバイケースで使用していまし
た。
幼稚園からコーランを学ぶ子供達。小さな女の子達もヒジャーブをきちんと巻いています。 任地タイズの山岳民族の子供達。彼らこそまさにウルルン滞在記に出てくるようなところに住んでいます。衣装も顔つきも山の上と山の下(タイズ市街)に住んでいる人は全く違いました。
大学で清掃活動をした時にみんなで撮った一枚。男の子達しか写っていないのは、年頃の女の子達は基本的には男の子達と一緒の写真には写らないからです。 イエメン最後の集合写真。大使館にて。在日邦人が少ないイエメンでは大使館の方も国連関係の方もみんなが顔見知りで本当にお世話になりました。