帰国隊員報告          「りる」第14号より

                                                  ザンビア    F.U.
                                                             平成6年度1次隊
                                     美術
                                                              

 私は現在国際協力事業団にて、国内協力員として青年海外協力隊の募集事業に関わっています。青年海外協力隊では、平成6年の7月から2年間、アフリカのザンビアヘ美術という職種で派遣されました。

 協力隊については、学生時代に友人が試験を受けたことをきっかけとして関心を持ち、以前より、途上国の人々の文化や生活に直に触れてみたいと思っていたこと、また未知の世界で自分の力を試してみたい、という思いから応募しました。

ザンビアの概況
 ザンビアは南部アフリカに位置し、周囲を7か国に囲まれた内陸国です。国土面積は日本の約2倍、首都は海抜は1200メートルと高いため、一年を通じて涼しく、過ごし易い気候です。

 1964年にイギリスより独立、人口920万人、73の部族と同じ数の言語があります。彼らの性格は、陽気で開放的、そして、少し嫉妬深い所は日本人に似ているかもしれません。銅の輸出による典型的なモノカルチャー経済で、1975年までは栄えていましたが、価格の暴落により、成長がストップ、現在は激しいインフレとデフレの二重苦に見舞われています。

 ザンビアにはまだ未開発の沢山の国立公園や、世界で2番目に大きな人造湖、また世界3大瀑布のうちの一つ、ビクトリア・フォールスと、見所もたくさんあります。

現地での生活環境
 赴任してすぐ、住居が与えられたのは幸いでしたが、防犯上から窓への鉄格子の設置等、入居まで随分と時間がかかりました。

 町中を走る車の殆どは日本車で、耐用年数の切れた計器類の動かない車が立派に走っていて、驚いてしまいます。

 現地食は「シマ」と呼ばれるとうもろこしの粉をお湯で練って作る餅状のものに、トマトと塩で味付けした野菜や鳥、牛などのおかずをはさんで食べます。私はこのシマが大好きで、色々な人に教わりながら、作り方を覚えたものです。

 首都の治安は非常に悪く、スリや空き巣も珍しくありません。街中では常に緊張を強いられるので、学期の休みには地方の村へ訪れて、村人たちと一緒に何日かを過ごすのが楽しみでした。地方の村では、都会では無くなってしまった古い伝統やしきたりがまだまだ残っており、大変興味深いです。

協力活動について
 私の派遣先は、ムナリ・セカンダリースクールといい、中・高等学校が一緒になった形の、生徒数2500名、教師数100名のマンモス校でした。現地の教師と二人で美術の授業を担当、予想していた通り画材不足に悩まされましたが、身の回りのありとあらゆる物を工夫して使うことで、随分課題の幅は広がりました。日本の子供達がいかに恵まれているかということを実感したものです。しかし何より私を悩ませたのは、生徒たちのモラルの問題でした。

まず、授業に来なかったり、途中で居なくなってしまったり、授業が始まれば大騒ぎ、物を盗むわ、嘘はつくわ、後片づけはしないわで、大混乱でした。いろいろな画材や道具を自由に使わせて、楽しく製作をさせたいという気持ちがあっても、その後のことを考えると、なかなか気が進まず、ジレンマに陥ることもしばしばでした。

彼らの感覚では、嘘をついたり物を盗んだりというのは、ちょっとごまかしたり、拝借したりという程度のもののようですが、そこには日本人との大きな感覚のズレを感じました。そんな彼らですが、私を姉のように慕ってくれ、授業が終われば、手をつないだり、髪の毛をなでたりの甘えよう、私の顔もついゆるんでしまいます。

 ザンビアでは未だ情操教育という観念が未発達で、美術の授業を実施している学校がほとんど無いのが現状で、とても残念です。最近は優秀な人材がどんどん国外へ出ていってしまう頭脳流出の傾向にあり、実際、教師や生徒までもが、「チャンスさえあれば、この国から出たい」と切望する中、「将来外国へ行って勉強したいが、いつか必ずこの国のために帰って来たい」と言った教え子の言葉は、私の気持ちに活を入れ、励まし、大きな感動を与えました。私たち協力隊員が、彼らの未来に、少しでも希望を持たせることができればいいなと思うのですが・・・。

活動を終えて
 活動中の現地の人達との関係の中では、教えることより、逆に学ぶことの方が多かったといえます。大家族制に基づく助け合いの精神には、良い意味でも悪い意味でも考えさせられましたし、彼らの、のんびリズムな生活の中には、日本人が失ってしまったものが沢山あるように思います。また、文化や習慣は違っても、同じ人問であるということ、その彼らと、心を交えた交流が出来たということだけでもこの2年間は大変意義のあるものでした。彼らを通じて得た知識や経験は、私の宝物ですし、将来これが何らかの形で必ず自分にプラスになることと思います。

 そして、これからも沢山の若い人達が、このような制度のなかで、国際協力を通じて、新しい発見や貴重な体験をして、成長する機会を得ることができれば良いなと思います。