野球用具を送って      「りる」第9号より

     ジンバブエ       S.H.

                     平成6年3次隊

                     野球

 

 私が日本を出発してはや一ヶ月半が経過いたしました。こちらに到着後一ヶ月間はジンバブエの環境になれると言うことと現地語を学ぶため、平成六年度三次隊ジンバブエ派遣組総勢十五名で同じ宿舎に寝泊まりし、朝・夕の食事付きで現地訓練を行ってきたのですが、五月に入ってからそれぞれが所属する部署へと赴任し、本格的に協力隊活動がスタートいたしました。

 

  

 

ンバブエ ハラレでの新任隊員の総合語学研修
(前列、右から三人目H隊員)

 

私の所属する部署は教育文化省になり、日本でいう文部省に当たります。活動内容は毎日ハラレ周辺のプライマリースクール(日本でいう小・中学校になります。)、ハイスクールへ野球の巡回指導に出掛けていき、子供たちを相手にキャッチボールやバッティングの基礎的なことを教えています。

野球というスポーツはこの国にとって全く新しいスポーツであり、ましてやテレビで野球中継があるわけでもないため、レベル的にいえば本当にビギナーであり、ボールやバットの握り方から教え始めると行った具合です。

それに各学校にグローブなどの野球道具がすべて揃っているわけではなく、すべて我々の協力隊の方で準備した道具を提供しているため数に限りがあり、最悪の場合は三つのグローブと一本のバットを使って五十人の生徒を指導しなければならない学校もあります。

ただ、つい先日まで現役選手としてプレーしてきた私にとって、全く違った環境下で子供たちを相手に野球の指導をしなければならないこと、言葉の障害等数々の問題はありますが、毎週私たちの訪問を楽しみに待っている子供たちを相手に、私が今までひたすら続けてきた野球を指導するということを、今は本当に楽しみながら行っています。

 

 ジンバブエの首都ハラレの近代都市ビル街



 毎日朝八時頃出掛け、夕方六時頃帰宅するわけですが、食事の方はほとんど自炊をしています。こちらの主食はトウモロコシの粉を水で溶かし、かるかんのように蒸したサザと言う物なのですが、実際にサザを食べているのは現地の人々ぐらいで、こちらに移住している白人や我々のような東洋人はマラウイ産の米やパンを食べています。

米と言っても日本米のようにおいしい物ではないですけれど・・・。この国は海に面していないため魚はほとんど食べれませんが、野菜や牛肉は安く手に入り美味しくいただいております。

 私の住んでいるハラレはとても都会的で、外資系企業の進出により高層ビルも建ち並び、幹線道路は舗装され、トヨタ・日産・ホンダ・マツダの日本車が町中を走り回っています。電化製品も日本製がかなり出回っており、SONY・PANASONIC・SHARPなどのステレオやラジカセが町中の電気屋に並んでいます。

こちらの人々に日本という国について聞いてみると、「Japanese technique is very wonderful.」と言う答えが必ず帰って来ます。ただ、日本がどこにあるかまでは知らないようですけど。

 こちらで生活する期間が経過すればするほど、物事の価値観が変わっていくような気がします。今まで恵まれた何不自由のない生活を過ごしてきたこと、日本という経済大国で安心かつ快適に暮らしてきたことなど、今まで気にもしなかったことをつくづくと考えさせられます。

何年か前までヨーロッパ諸国の植民地であったこの国には文化という物がなく、これからこの国を作り上げていこうとする子供達に対して我々協力隊員がどこまで日本の文化を伝えることが出来るか不安な部分もありますが、この貴重な二年間を無駄な時間としないよう私なりに精進していきたいと思います。

 

   一歩田舎(いなか)に入ればこのような生活状態が普通である。



 最後になりましたが一つだけお願いがあります。それは先ほど少し書かせていただきましたが、こちらには野球用品を扱っているお店など一つもありません。各学校に提供している野球用品はすべて日本から取り寄せているのですが、協力隊事務局の方で準備していただける数量にも限りがあり、これだけではまだまだ子供達に本当の野球を指導するまでの道具が足りません。

もしそちらに現在使用していないグローブやバット、ボール等ございましたら我々の方に提供していただけませんでしょうか。私の手前勝手なお願いで誠に恐縮なのですが、何とぞご理解のほどよろしくお願いいたします。まずはご一報いただければ幸いです。

 日本はこれから梅雨を迎え、うっとうしい日々が続くと思いますが、くれぐれもお身体にはお気を付けください。遠いジンバブエから皆様方のますますのご健勝をお祈りいたします。

一九九五年五月二十一日